第8回
第1回の2 2003年12月9日から11日(第45日〜47日目)
第1回目の初日、電車でカットした北越谷から小山と
4日目の今市(大谷向)から矢板(日光北街道)までを歩く
第1日の2 第1日 北越谷〜幸手 第2日 幸手〜小山
第4日の2 第3日 大谷向〜矢板
おくの細道 深川 --(船)-- 千住 --- 草加 ‐‐‐ ★粕壁(春日部) --- ★間々田 --- 栗橋 --- 小山 | |
第1回の2 第1日 2003年12月9日(火) 北越谷 ----- 粕壁 ----- 杉戸 ----- ★幸手 |
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粕壁駅前 東1丁目交差点横 と 小渕交差点手前の道標 |
日光御成街道 杉戸の一里塚 と 幸手市南二丁目 道標
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北越谷から県道49号を行くとすぐ国道4号に合流する。 何もない旧4号線の日光街道を粕壁まで淡々と歩く。 一宮交差点を左にとり市街中心部へ入っていくと駅前 の交差点手前に「東 江戸 北 日光道」の道標が建つ。 中心街を抜けると小渕交差点手前にも道標があり再び 国道4号線に合流し杉戸町へ入る。 |
杉戸町の堤根交差点で旧道に入り街中を抜け、道を右に とると国道4号(日光街道)へ戻るが、そのまま直進し和戸 で岩槻からくる日光御成街道を行くことに。 途中の「杉戸の一里塚」を過ぎると幸手市へ入る。 久喜へ分ける道筋に「御成街道道しるべ」の標柱があり 道標が建つ。 過ぎるとすぐに幸手宿である。 |
第1回の2 第2日 12月10日(水) 幸手 ‐‐‐‐‐ 栗橋 ----- 古河 ----- 間々田 ----- 小山 ★今市 |
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栗橋の一里塚と説明板 利根川大橋
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明観山 長谷寺 日光道中野木宿案内板 |
幸手の権現堂桜堤を過ぎると、国道4号の左下側を沿う ようにつづく細い旧道(側道)を行く。 右は国道の壁に遮られて何もなく、左は民家と畑が続く 道を行く。栗橋に入ると左に「一里塚」がある。ちょうど 幸手と栗橋の中間地点と説明板ににある。 利根川土手にある「栗橋関所跡」の上で利根川を渡る。 風が冷たい。 (※ 第1回 1日目参照) |
橋の上ですぐに古河市に入る。渡ってすぐ左に旧道をとると 「中田宿」である。ここも芭蕉に関するものは何もなく、ただ 通り過ぎるだけだ。 古河市役所を過ぎた先に、日本三大 長谷寺と言われる「古河の長谷観音」があり拝観する。 古河を抜けると栃木県に入り県道261号から国道4号に。 すぐに「野木宿」、そして「間々田宿」と旧宿場町が続く。 |
逢の榎(間の榎)と 説明板 |
小山市に入ってしばらく行き、間々田の駅を過ぎた少し先で 酒屋の御姉さん?に声をかけられる。”どこまで行くのか、 「あいのえのき」は見てきたか”と言われ、「いいえ」と答える と、「せっかく歩いて来たのなら是非見ていけ」と言う。 通り過ぎた信号のすぐ手前だからと親切に教えてくれるの で見に戻る。説明板によると「間々田宿」は江戸と日光から 丁度18里(72キロ)の中間点にあたり、その場所に宿の 入口にあった榎を植えて旅の道のりを知ったという。 「間の榎」がいつか「逢の榎」になったそうだ。 間々田を過ぎると小山まで約5キロの道のりである。 |
奥の細道 今市 - 大渡 -- 船入(船生)-- ★玉入(玉生) -- 矢板 | |
第2回の2 第3日 12月11日(木) 大谷向(だいやむこう) ----- 大渡 ----- 玉入(玉生) ----- 矢板 |
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大渡橋 玉入集落 |
大谷向駅前から駅横の踏切を渡り国道461号を矢板に向う。 今日はただひたすら日光北街道を歩くのみだ。 朝のうち曇り、午後遅くには雨の予想。矢板まで26キロほど。 休憩を入れても6時間弱で着く予定だ。 大渡で大渡橋を渡り船生(ふにゅう)から玉生(たまにゅう)へ。 小さな集落は静かで人の気配すらなく、いつの間にか集落を 抜けて再び国道に出てしまった。 玉入には「芭蕉宿泊の記念碑」があったが、確認しないまま 矢板に向うはめになってしまった。 この日はやたら工事個所とトラックが多く歩きづらかったが、 負けずに庚申塔の多い道である。 |