第7回 2003年 10月6日から13日(第37日〜44日目)
羽前大山・水沢 から 村上 - 新潟 - 柏崎
第1日 水沢 〜 温海--鼠ヶ関 第2日 鼠ヶ関 〜 葡萄
第3日 葡萄 〜 村上 第4日 村上 〜 築地・稲荷岡
第5日 稲荷岡 〜 新潟 第6日 新潟 〜 弥彦
第7日 弥彦 〜 出雲崎 第8日 出雲崎 〜 柏崎
おくの細道 大山 ---- ★温海 ‐‐‐‐‐‐ | ||
第1日 2003年 10月 6日(月) 水沢 ----- 温海(あつみ) ----- ★鼠ヶ関 |
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矢引坂入口 釜谷トンネル 鬼かけ橋跡標柱
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塩俵岩 芭蕉句碑 芭蕉宿泊の家 | |
雨の中「羽前水沢」駅から再開する。国道7号で羽越本線を 渡りすぐ左へ。中沢集落を通り県道334号線に。 矢引坂から山の中の県道を三瀬へ。三瀬交差点で国道7号 に入り、すぐの釜谷トンネル(立派な歩行者用あり)を抜けて 温海(あつみ)へ向う。 小波渡の先に「鬼かけ橋跡」標柱が立っている。 |
堅苔沢(かたのりさわ)から五十川(いらかわ)に入ると温海町。 すぐに塩俵岩があり入口に 芭蕉句碑 「あつみ山や吹浦かけてゆう涼み」が建つ。 すぐ南にある暮坪の立岩など、見所の多い羽州浜街道 (国道7号)を行く。時折雨。温海温泉駅への旧街道沿いに 「芭蕉宿泊の家」の標柱があり現在も居住されているようだ。 |
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三百年記念碑標柱 小公園 説明板 |
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日本海沿いの国道7号を、旧道を拾いながら南下する。 温海から約8キロで鼠ヶ関に着く。 集落の入口、国道7号沿いに「念珠ケ関」跡が整備復元され ているが、少々荒れ気味で手入れもされていないみたいだ。 |
国道を挟んで関跡のすぐ斜めに、 「芭蕉おくの細道紀行三百年記念碑」の標柱が建つ小公園 があり、奥に「おくの細道文学碑」と説明板がある。 ここから右に鼠ヶ関の集落に入る。岬の突端が弁天島で 周囲はきれいに整備された公園になっている。 公園の道沿いにある「源義経上陸の地」なる立派な石標を みて宿に向かう。 |
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おくの細道 温海 --- 鼠ヶ関 --- ★中村(北中) ‐‐‐ | ||
第2日 2003年 10月 7日(火) 鼠ヶ関 --- 北中 --- 葡萄峠 --- ★葡萄 |
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国道7号新潟県看板 勝木交差点 7号北田中10:20
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北中 宿泊地標柱 公園の句碑 |
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鼠ヶ関の集落にあるはずの県境の看板を見落としてしまう。 通り過ぎて気が付けば国道7号に出ていた。 すでに越後に入っており、国道の「新潟県へようこそ」の看板 でようやく出羽から越後に入ったことを実感する。 長い出羽路の歩きであった。 しばらく越後路の海岸沿いを進みながら行くと府屋に着く。 ここからトンネルを2つ(旧道にもトンネルあり)抜けて勝木に。 勝木交差点を右にとれば名所「笹川流れ」のある国道345号 で村上に出るが、「おくの細道」は日本海から離れ国道7号で 山側に入る。途中の北田中では気温が16℃とやや肌寒い。 |
国道は山の中を少しずつ登っていく。345号へ流れる車が 多いのかこちらは車も少なく静かだ。 北中の手前で国道を離れ旧道を北中集落へ入る。 「芭蕉宿泊の地」の標柱を見て集落を行くと、大毎への曲が り角に「北中芭蕉公園」があり、奥に芭蕉の句碑が建つ。 句は 「さわらねば汲まれぬ月の清水かな」 だが手元の 「芭蕉全句集」には見当たらない。 それにしてもこんな(失礼!)山中の集落に立派な公園があ るとは驚きである。 |
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畑の中の旧国道 吉祥清水 旧国道標識 |
旧国道 明神岩 葡萄集落 |
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「芭蕉公園」の下を廻り込んで畑の中の旧国道を行くと、大毎 の集落に入る。 途中の「吉祥清水」で喉をうるおし大沢方面 に向う。大沢への入口で「旧国道」の標識に従い右折する。 (大沢経由の山越えもあるが、情報では荒れて難渋とのこと) |
ここから旧国道の林道で葡萄峠を越える。しばらくは砂利道 を行くが途中から舗装道になる。 朝日トンネル入口からくる道を右に分けてゆるい登りを行く と、ほどなく赤い鳥居の建つ矢葺明神(漆山神社)に出る。 すぐ傍に大きな明神岩がそびえている。 このあと葡萄峠頂上まで登りが続き、登り切ると葡萄の集落 まで下るのみ。 15:00 予約しておいた宿に入る。 まだ明るい集落では稲刈りの真最中だった。 |
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奥の細道 中村(北中) ----- 葡萄峠 ----- ★村上 | ||
第3日 2003年 10月 8日(水) 葡萄 ----- 猿沢 ----- ★村上 |
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朝もやの国道 三面川と水明橋 小川付近のススキ |
上片町地蔵堂と句碑 稲荷神社境内句碑
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葡萄集落から葡萄トンネルを抜け、朝もやのたつ国道7号を 南下する。 途中の大須戸、板屋越、猿沢、鵜渡路などの各 集落は旧道で抜けていく。下中島を過ぎると鮭の遡上で有名 な三面川を「水明橋」で渡る。村上市に入る手前の小川付近 では、一面のススキが陽の中に輝き美しい。 古渡路を右折し旧道に入るとほどなく村上市街に入る。 |
県道205号で門前川を渡って、すぐ左の上片町地蔵堂に 芭蕉句碑「けふばかり人も年よれ初時雨」がある。 上片町交差点を右折してしばらく行き、久保田町交差点を 左折した加賀町稲荷神社の境内にも 「雲折々人をやすむる月見かな」の句碑がある。 |
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村上城跡 城址から市街 |
旅館 井筒屋 |
そこから街中を南へ抜けて 村上城址へ。天守閣跡からの 眺めは抜群で、市街とその先 に日本海が広がる。 市内へ戻り街中をぶらつく。 芭蕉が泊まった久左衛門宅は 現在も旅館井筒屋として村上 市内に残っている。 観光案内所で宿を頼み、少し 先の瀬波温泉に泊まる。 |
奥の細道 ★村上 ----- 乙宝寺 ----- ★築地 | ||
第4日 2003年 10月 9日(木) 村上 --- 乙宝寺 --- (築地)稲荷岡 =バス=★中条 |
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石船神社 句碑 2基 |
旭橋 道標 説明板 |
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快晴のなか宿を出て海岸線を一回りし、石船神社に詣でる。 参道の鳥居の脇に句碑 「花咲て七日鶴見る麓哉 はせを翁」 その右の「磐船柵(いわふねのき)跡」の碑の前にも句碑が あり、読み難いが 「文月や六日も常の夜には似ず はせを」だそうだ。 いずれにしても芭蕉は村上に関する句を読んでいない。 |
石船神社をあとに国道345号を行き荒川を「旭橋」で渡る。 橋は狭く歩道はない。この日は特にダンプが多く、車がすれ 違うたびに立ち止まっては欄干にへばりつかないと接触しそ うになる。その都度橋上は大渋滞だ。人一人のためにこの 状態では、とても歩いて渡る橋ではないようだ。 橋を渡って左右どちらでも「乙宝寺」へ行けるが、静かな道 の左回りで行くことにする。 途中新光寺の道路脇に道標があり説明板が建ててあった。 |
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乙宝寺 本堂 句碑 |
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乙(きのと)の交差点を右折し乙宝寺に。 本堂右脇に「浮世塚」の説明板と、 「うらやまし浮世の北の山桜」の芭蕉句碑がある。 これも「おくの細道」とは関係がない。 |
乙宝寺境内の手水舎は「独鈷水」という名水だそうである。 乙宝寺をあとに国道113号から県道3号で約1時間、 芭蕉が泊まった築地(ついじ)に着く。 少し時間があったので先の稲荷岡まで行くが、予定していた 宿が取れず中条までバスで戻る。 |
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奥の細道 築地 -------- ★新潟(船という説もあるそうです) | ||
第5日 2003年 10月10日(金) 稲荷岡 ----- 佐々木 ----- ★新潟 |
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聖龍町二本松追分の道標 阿賀野川 業平橋 新潟 万代橋 右左は読めるが? |
今日は新潟まで見るところもなく、ただひたすら歩くのみ。 紫雲寺町から聖龍町、新発田市、豊栄市と県道3号を淡々 と行く。阿賀野川(下流部では日本で最大の流量を誇ると いわれる大河)を業平橋(約1キロ)で渡り国道7号交差を 過ぎれば新潟市街地までおよそ1時間。県道4号を交差し、 栗ノ木橋で国道7号に入り、左に新潟駅をみれば万代橋は すぐである。 天気は最高で申し分なかったが、途中見るものもなくただ 歩くだけのためか何故か疲れた一日だった。 |
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奥の細道 新潟 -------- ★弥彦 | ||
第6日 2003年 10月11日(土) 新潟 -------- 弥彦(★吉田) |
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関屋大橋 石塔 道標と説明板 |
観察ルーム 湿地帯 奥の細道標柱 |
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宿から国道116号をしばらく行き、関屋で県道16号に入り 関屋大橋を渡って弥彦に向う。 内野四ツ角から県道2号 (新潟寺泊線)に代わるが、赤塚で旧道に入り、再び県道2号 に合流するとすぐに小公園があり、傍らに石塔が建つ。 道標を兼ねた珍しいものだそうだ。 |
この公園の横にはラムサール条約に登録された湿地帯が あり佐潟公園として整備されている。 立派な観察ルームがあり、しばし野鳥などを観察する。 駐車場を出たところに何故か「芭蕉奥の細道」の標柱があり 多くの石碑が並んでいる。 |
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新保の道標 岩室温泉道標 寶光院の句碑 | 弥彦神社 山門 本堂 鳥居 |
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再び県道2号を行く。松野尾の新保に道標がある。わずかに 「右やひこ」?と読めるようだがよくわからない。 途中の間手橋で国道460号となり、再び県道2号に戻ると 間もなく岩室温泉に着く。温泉入口の立派な道標「北国街道 岩室宿」をみて温泉街を抜けると弥彦神社は近い。 神社の手前の寶光院に参拝し「般若心経」を唱えていたら、 横の弥彦競輪場から9レースの実況アナウンスが始まり気分 がそがれる。 境内の句碑は「荒海や佐渡に横たふ天の河」。 |
競輪場の前を通り弥彦神社・越後国一宮へ詣でる。 弥彦山を御神体とする本殿は大正5年に再築されたものと 説明にあるが、さすがに荘厳なたたずまいである。 三連休のためか弥彦で宿が取れず、電車で吉田まで行き 駅前のホテルに泊まる。 |
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奥の細道 弥彦 --- 西生寺 --- 寺泊 ----- ★出雲崎 | ||
第7日 2003年 10月12日(日) 弥彦 --- 西生寺 --- 寺泊 ----- ★出雲崎 第7回是まで |
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北国街道標柱 峠への標柱 西生寺 |
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朝、吉田から弥彦に戻る。 時折雨の降るなか弥彦山スカイラインへ。すぐに麓の集落へ 入り林道を行く。この辺りはいたるところに北国街道の標柱が 立っている。林道から再びスカイラインに合流する。 途中、弥彦山峠への旧北国街道の標柱(写真の草むらの中) など見ながらさらに進み、峠頂上で西生寺の案内板を左にとり野積方面に下る。下りきった三叉路で右に上り詰めていくと 西生寺正面に出る。 |
門を廻り込んで境内を拝観する。即身仏の安置されている 「弘智堂」の前に「芭蕉参詣の碑」がある。 順路に従い境内を拝観したあと、展望台に出て佐渡方面を 見るが、生憎の天気で佐渡は見えず寺泊方面を撮る。 愚作 「荒海も佐渡もけむりて秋の雨」 |
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野積大橋 良寛空庵跡(郷本) 案内板 | 出雲崎入口 良寛堂 芭蕉園の芭蕉像と 銀河の序碑 解説板 |
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西生寺を後に野積集落に向う。 野積で国道402号に合流し 一路南下、 寺泊手前で大河津分水路を野積大橋で渡るが この橋も歩道が無く狭い。 三連休のためか寺泊海岸通りは 大変な賑わいである。 時折雨がぱらつく海沿いの歩きを楽しむ。 郷本には「良寛空庵跡」がある |
出雲崎に近づき天気も良くなってきた。 井鼻で旧道に分岐する。出雲崎宿口には「北国街道出雲崎 宿」の看板が建ち、この道は歴史国道になっている。 今日は宿が取れるか心配で朝から手配し、3軒目で何とか 四畳半の一人部屋にもぐり込めた。この日は「天領祭り」の 日とやらで大変な賑わい。良く取れたものである。 |
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大崎屋と 解説板 俳諧伝灯塚句碑 |
宿に荷物を置き集落を見学する。 「良寛堂」、「芭蕉園」、芭蕉が泊まったと言われる「大崎屋」、 妙福寺の「俳諧伝灯塚」など主に芭蕉関連を見て廻ったが、 ほかにも良寛生誕の地として良寛にまつわる見所が多い。 「俳諧伝灯塚」碑には 「荒海や佐渡に横たふ天の川 芭蕉翁」 |
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奥の細道 出雲崎 ------- 柏崎 --- ★鉢崎 | ||
第8日 2003年 10月13日(月) 出雲崎 -------- 柏崎 第7回是迄 |
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出雲崎宿南口 雨の国道352号 石地地区の長屋門 |
夜半の雨が降り止まず、テレビのニュースは「大雨洪水注 意報」を繰り返す。時間を遅らせても小雨になる気配もなく 雨のなかを出発する。南の宿口から国道352号(北陸道) へ。歩き始めてから西山町に入ってもまだ車を見かけない。 石地地区には史跡「明治天皇行在所・長屋門」がある。 写真を撮る気力があったのはここまで、雨は止まず椎谷の 観音岬では突風のため傘の骨が折れる始末。急遽雨具の 上も着るが風雨は容赦無く吹きつける。 途中で傘を応急処置したものの、雨が漏れてほとんど役に 立たないありさま。刈羽トンネルを抜け国道から最短コース の地方道に入るが、道はすでに川のように水が流れている。 地図を確認することもままならずただひたすら歩く。 12時半頃ようやく柏崎の街中が見えた。たまに出会う人に 道を確認しながら行く。13時20分ようやく柏崎駅に着く。 休みなしの強行軍であった。最悪の一日! |