きままに歩く おくの細道           
          上は芭蕉と曾良の行程を追っています。   ★は宿泊地
          下はきままに歩いた行程です。(この旅は宿泊地を当日に決めているためその日の都合で
                              交通機関を使ったりコースをカットしているところがあります)                       


    第1回  2002年10月10日から15日(第1日〜6日目)                                             
          深川 から 黒磯        

          第1日
 深川〜小山   第2日 小山〜鹿沼   第3日 鹿沼〜日光
          第4日 日光〜矢板   第5日 矢板〜黒羽    第6日  黒羽〜黒磯                                 
     
    第8回 第1回の2 2003年12月9日から11日
            第1日の2  12月 9日 北越谷〜幸手  10日 幸手〜小山
             第4日の2  12月11日 大谷向〜矢板          

 おくの細道  深川 --(船)-- 千住 --- 草加 ‐‐‐ ★粕壁(春日部) --- ★間々田 --- 栗橋 --- 小山
第1日 2002年10月10日(木)
     深川 --地下鉄(森下)--JR(南千住)  ---千住大橋‐‐‐ 草加 ---北越谷東武(新越谷)JR--栗橋--JR(小山) ★小山
                                       03年12月9日から10日 北越谷---小山を歩く

 芭蕉記念館・芭蕉庵史跡展望庭園            芭蕉稲荷

     素盞雄神社                       句碑と解説板

朝6:00 深川 
  「芭蕉記念館・芭蕉庵史跡展望庭園」も開館前で入れず
 
何はともあれ芭蕉稲荷に旅の安全を祈って出発する。
     追加: 展望庭園芭蕉像採茶庵跡の芭蕉像
 
 芭蕉たちは隅田川を舟で千住までさかのぼったが、私は
 地下鉄を乗り換えて「南千住」へ。

千住 
  南千住駅前の道を斜めに北上し国道4号線に出る。
  国道を渡りすぐ先の素盞雄神社へ参拝する。
  境内社殿の東側に芭蕉像の刻まれた句碑が建つ。
 句は
  「行く春や鳥啼き魚の目は泪」

 千住大橋と矢立初めの碑          千住宿(高札場)

 千住新橋      西保木間交差点  札場河岸公園 芭蕉像

神社からすぐに「千住大橋」がある。東北への唯一の大橋で、
奥州・日光・水戸三街道の要所である。橋をわたるとすぐ左手
の足立区大橋公園に「史跡おくのほそ道矢立初めの碑」が
あり本文の一部が刻まれている。国道4号を横断し右斜めの
旧道に入り「千住宿」へ。宿場の面影を残す旧道を行き、突き
当たりを左にとると「千住新橋」へ出る。

国道4号で「千住新橋」を渡り斜め左へ旧日光街道に入る。
足立区西保木間町3丁目交差点で国道4号をくぐり、左に
折れると間もなく埼玉県草加市に入る。
そのまま県道49号を4キロほど行くと草加松原公園(札場
河岸公園)があり傍らに芭蕉像が建つ。
  
 
 松原公園 矢立橋    松並木        百代橋
 駅前にある静御前の墓            栗橋関所跡

公園から少し行くと遊歩道があり草加松原の松並木が続く。
遊歩道の途中、百代橋手前左側にある「橋名由来」には本文の
”月日は百代の過客にして・・・・・”が刻まれている。
遊歩道から県道49号に戻り「春日部」に向かうが、今日は都合
で北越谷から栗橋経由小山まで電車で行くことに。
 
※当時は細かい計画もなく歩き始めたため、前へ進むことしか考えてなかった。
  2回目以降は宿泊地から前日の終了地点に戻る方法をとるようにした。
          
      03年12月9日から10日 北越谷---小山を歩く
                     
 途中の栗橋で時間があったので少し散策する。
 駅前にある「静御前の墓」を見たあと、道を東に1キロ
 ほど行き栗橋関所跡をみる。
 関所は利根川橋の入口の土手下旧日光街道傍らに建ち、
 「利根川を渡る入鉄砲と出女(武器と女性)を厳しく取り締
 まった」と、説明版にある。

 ※ 1年後改めてここを通り直すことになる  
 おくの細道  小山 --- 飯塚 -- 室の八島   -- 壬生 --- 楡木 --- ★鹿沼 
第2日 2002年10月11日(金) 
     小山  ---  飯塚 --- 大神神社(室の八島) --- 壬生 --- 楡木--東武(新鹿沼) --★鹿沼 
     
    旧小山宿跡道標          西一里塚
   大神神社表参道   句碑      大神神社 本殿

小山駅からすぐの海産物問屋の脇に「旧小山宿跡道標」が
あり、左に「江戸」右に「日光」とある。
善沢で左の旧道に入る。そこから少し行くと小山GCの敷地
内に「日光街道西一里塚」がある。この後 飯塚から道を左に
折れて川(思川)を越えるが 、この橋は先の関東大雨で流失
したとのことで3キロ先の県道44号まで川を渡れず。

県道44号「大光寺橋」で思川を渡り、途中で右に折れ畑の
中の道を行くと大神神社(室の八島)に着く。
表参道から杉の古木のなかを社殿へ。
「室の八島」は本殿に向かって左にある。
入口左に芭蕉句碑
 いと(糸)遊に結びつきたるけぶりかな」がある。
 
木花咲耶姫を祀る社   室の八島       
木花咲耶姫は富士浅間主祭神   小さな八つの島に小さな八社がある

壬生        本丸1丁目交差点      鹿沼追分交差点
  壬生の一里塚  真中上が日光西街道 (左江戸へ右中山道へ)
  (元町)                 ここから日光例幣使街道に

大神神社を参拝したあと、神社裏参道から県道2号に出て
壬生に向かう。思川を渡り2キロほどで県道18号に。

 
  
県道18号を少し戻り「壬生の一里塚」を見たあと、壬生駅
前から少し行き国道352号線に入る。国道は通称壬生通
(日光西街道)と呼ばれ鹿沼に向かう。
この道は途中の鹿沼追分で「日光例幣使街道」となり日光
に至る。
 
 おくの細道  鹿沼 -- 文挟 -- 板橋 -- 今市 --鉢石-- ★日光 
第3日 2002年10月12日(土)
     鹿沼 JR(文挟) 文挟  --- 板橋 --- 今市 ---   ★ 日光 

文挟 例幣使街道 杉並木        地震坂案内板
    文挟から板橋までは遊歩道あり   昭和24年地震により上にあっ
     その先歩道なく車多く注意      た道が現在の所まで下がった
 
   十石坂      十石坂から     今市 追分
かっては急勾配で東照宮大鳥居の  室瀬一里塚 右に杉並木街道
石を運ぶとき人夫が十石も飯を食っ
たと言ういわれからだという
朝、時間の都合で鹿沼ー文挟間をJRで通過し文挟から歩く。
4キロほど行き、板橋を過ぎると本格的な杉並木となる。
素晴らしい杉並木が続くが、歩道も無く僅かなサイドライン側を
車を避けての歩きが強いられる。
地震坂、十石坂をみて「室瀬の一里塚」を過ぎJR日光線を
渡って今市に。今市宿を抜けて日光街道との追分を右に、
日光杉並木道へ入る。
  歩行者優先の日光街道杉並木 と 今市 瀬山一里塚
 今市から野口まで約3キロの歩道        江戸日本橋から34里(132k) 

 3キロ近い杉並木は車の心配もなく歩きを堪能させてくれる 
 日光           句碑 芭蕉翁おくの細みち日光山吟 
   お馴染みの陽明門   「あらたふと青葉若葉の日の光」

 日光駅前の観光協会で今夜の宿を探す。三連休の初日
 でもあり、宿が取れるか心配したが、早めの到着で何と
 か確保することができた。
 おかげで心置きなく東照宮を参拝する。

 おくの細道   日光 (裏見の滝 含満が淵) -- 瀬尾 - 今市 - 大渡 -- 船入(船生)-- ★玉入(玉生) -- 矢板
第4日  2002年 10月13日(日)
      日光 (裏見の滝--含満が淵) -- 霧降大橋 - 瀬尾 -- 大谷向 東武(新今市)-JR(今市-宇都宮-矢板) ★矢板 
                                       日光北街道 矢板へは東武新高徳からバスあり但し休日運休!
                                                この日は3連休の中日で宿も探せず残念ながら電車で矢板まで 
                                                第8回 03年12月11日
  大谷向---矢板を歩く

 
 日光 裏見の滝                       含満が淵
     滝の裏に行く人多いが注意を
     
「暫時は滝に籠るや夏の初め」
     愚作一句 「岩清水くみて裏見の滝しぶき」 
 
含満が淵 百地蔵  句碑 安良沢小学校校舎前  大日堂跡
          
     学校校舎前 「志ばらくは瀧に籠るや夏の初め」
       大日堂跡 「あらたふと青葉若葉の日の光」

東照宮から華厳の滝方面に行き「滝入口」バス停を右にとると
30分ほどで駐車場に着く。そこから15分ほど山道(遊歩道)を
行くと「裏見の滝」に出る。高さ45m、幅2mあり、滝の裏に登る
人もいるが、崩落が激しく、一応危険のため「立入禁止」になっ
ている。


戻ってバス停を「安良沢小学校」に向かう、小学校の横から
大日堂跡へ出る。小公園の傍らに句碑が建つ。そのまま
遊歩道で含満が淵を回り街中に戻る。
東武日光駅前で霧降大橋を渡り県道247号で大谷向へ。
日光CCの傍を抜け、「大谷橋」横で国道121号線を渡ると
東武鬼怒川線「大谷向」駅に着く。
残念ながら宿を探せず日光北街道を飛ばして矢板へ。
 
   第8回 03年12月11日  大谷向---矢板を歩く
 
 おくの細道  矢板 --- 沢村 --- 太田原 --- ★黒羽根(黒羽) 芭蕉は黒羽(余瀬)に14日間滞在 
第5日  2002年10月14日(月)
      矢板  --- 沢 --- 太田原 --- ★黒羽
 
通称なんじゃもんじゃ通り(旧日光北街道)     西那須野町 
 箒川に架かる「かさね橋」                なんじゃもんじゃの木
 曾良の「かさねとは八重撫子の名なるべし」が
 刻まれている
 
黒羽 
    大雄寺      浄法寺桃雪邸跡と
    藩主大関家檀那寺     庭園に建つ句碑(拡大)
               「山も庭も動き入るや夏座敷」
矢板市の「中」交差点で県道52号線に入り、沢で東北新幹線
をくぐり、旧日光北街道に入る。
箒川に架かる「かさね橋」を渡りのどかな旧道歩きを楽しむ。
大田原市を過ぎ、途中の「那須神社」に参拝して黒羽に入る。

今夜の宿を確保して町中を散策する。
芭蕉が最も長く滞在した場所でもあり、多くの句碑とともに
見所も残されている。
とりあえず藩主大関氏菩提寺「大雄寺」から「芭蕉の道」、
「芭蕉の館」、「明王寺」そして「常念寺」と廻る所は多い。

 
黒羽 
  左「芭蕉の道」の句碑     芭蕉の館 入口左手に建つ 
  「田や麦や            翁と曾良のブロンズ像と文学碑
   中にも夏のほととぎす」    曾良の句 「かさねとは
                              
八重撫子の名なるべし」

明王寺 句碑     常念寺 句碑と山門(山門左横に句碑)
 「今日も又          「野を横に
  朝日を拝む石の上」    馬牽きむけよほととぎす」

 おくの細道   ★黒羽根 滞在(陰暦 4月3日から16日) --- 余瀬 --- 野間 --- ★高久(黒磯)
第6日  2002年10月15日(火)
      黒羽 町営バス(雲巌寺)- 雲巌寺 --- 黒羽 --- 余瀬 --- 長者谷 --- 那須塩原 JR(黒磯)  第1回是迄
  
 
黒羽 雲巌寺と句碑              雲巌寺への
     「啄木も庵は破らず夏木立」  おくのほそ道道しるべ
 
行者堂光明寺跡句碑                余瀬への道しるべ
  「夏山に足駄を拝む首途哉(かどでかな)

朝、バスで「雲巌寺」へ行く。
スクールバスと見間違えるような学生で満員のバスは、途中か
ら私一人となり終着の雲巌寺に着く。
深山に建つ名刹をゆっくり拝観したあと徒歩で戻る。
途中ところどころに「おくのほそ道道しるべ」の木標がある道を
のんびりと下る。
 
役場前から「那珂橋」を渡り、町中を抜けて句碑めぐりの
コースへ出る。随所に道しるべがあり迷う事なく回ることが
できる。
田んぼの中を「道しるべ」に従い「光明寺」へ。
  

余瀬 道標          西教寺句碑          鹿子畑翠桃邸跡
    余瀬の昔
       「かさねとは          奥に翠桃墓
  我せとは関街道の栗野宿  八重撫子の名成るべし」
 
玉藻稲荷神社と 句碑           那須野に落ちる夕日
           「秣(まぐさ)おふ人を枝折の夏野かな」
 光明寺から余瀬、西教寺へ行き、そこから鹿子畑翠桃邸跡、
 玉藻稲荷神社と廻る散策路を歩く。
 このあと、野間から鍋掛、そして高久へ行くのが本来の
 ルートだが、残念ながら時間切れになる。
 那須野に陽が落ちて暮れゆくなかを、一番近いJR那須
 塩原駅へ向かう。東北・東海道新幹線で帰宅する。  

                  目次へ   頁TOPへ   第1回の2へ      第2回へ