第5回   2003年 6月 7日から14日(第21日〜28日目)
            石巻 から 山寺(立石寺) 
 
            第1日 石巻  〜  登米              第2日 登米   〜 一ノ関  
            第3日 一ノ関  〜平泉〜一ノ関〜 岩ケ崎   第4日 岩ケ崎  〜 岩出山 
           第5日
 岩出山   〜 鳴子                第6日  鳴子    〜 赤倉
            第7日   赤倉   〜 尾花沢-天童         第8日 天童   〜  山寺
                                              

 おくの細道   石巻   ----  鹿又 ‐‐‐‐‐‐  柳津  -----   ★戸伊麻(登米)
第1日 2003年 6月 7日(土)
           石巻 -----   鹿又  -----  柳津    ------ ★登米 

 飯野川橋        北上川     おくの細道碑
   北上川        古い道標   一宿の地」案内板と碑 
 石巻駅前から国道45号に出る。河北町の飯野川橋で
 北上川を渡ると、北上大堰から先は北上川左岸の歩道
 のない国道(一関街道)をひたすら北上するだけだ。
 柳津大橋の手前にある「おくのほそ道の碑」を見て国道
 342号へ入る。

 流れを留めて沼のような北上川を左に見ながら行く。
 登米町との境に古い道標がある。「東 本吉郡麻崎村
 西 登米群登米町」とある。ここから川を離れてしばらく
 は旧道を行く。
 登米大橋を渡ってすぐ右の堤防に「芭蕉翁一宿の地」の
 碑と案内板があり、すぐに登米(とよま)の街中に入る。
 時間があったので古い町並みを見学する。
 おくの細道   登米  --- 上沼 --- 阿久津(涌津)  --- 金沢 ---  ★一ノ関
第2日 2003年 6月 8日(日)
           登米  --- 上沼 --- 涌津 ---花泉--- 金沢  ---  ★一ノ関

            宮城・岩手県境  松並木
     
      金沢宿下の道標         
 登米から北上川右岸の国道342号をを北上する。
 東和町浅水を過ぎると北上川と別れ花泉に向かう。
 上沼を過ぎて宮城から岩手県に入る。
 途中の街道沿いに「明治松」と書かれた松並木が続く。
 花泉を過ぎて「金沢の宿」下にある道標 表面は判読
 できないが傍の案内板に説明がある。
 「右ハ いしのまき 左ハ うすきぬ」とある。
 石巻から登米、一関までの道は大半を北上川に沿って
 ひたすら歩くだけの単調な道のりである。 
 奥の細道   一ノ関 ‐‐‐ 平泉(高館・中尊寺・毛越寺) --- 一ノ関 ---  岩ケ崎 -----   
第3日 2003年 6月 9日(月)
           一ノ関 --- 平泉(高館・中尊寺・毛越寺) 平泉(JR)一ノ関 ---萩荘--- ★岩ケ崎
   
  一ノ関市内            磐井橋たもとの
日本の道百選 おくのほそ道      芭蕉二夜庵の碑
             石碑と案内板
     ここから平泉へ


平泉 無量光院跡  高館からの北上川    句碑

 市内の磐井川を「磐井橋」で渡って右折する。県道19号
 から260号を行き、国道4号を少し歩いて平泉まで約
 6キロ、途中細かい雨になる。平泉駅を過ぎ、右に東北
 本線を渡り「無量光院跡」を見て高館に。 

 高館に登る。昨日、東和町浅水で別れた北上川とここ
 で再会する。 高館から見る北上川は河川工事で緑が
 少なくなんだか痛々しい限りだ。
 山頂には「義経堂」があり、対座するように
     「夏草や兵共が夢の跡」の記念句碑が建つ。
 
  
  曾良句碑      中尊寺参道入口    本堂
  中尊寺句碑と旧覆堂       毛越寺句碑  
 
 高館から中尊寺へ向かう途中に「卯の花清水」がある。
 傍らに曾良の句碑 「卯の花に兼房みゆる白髪かな」
 が建つ。JRの踏切を渡り中尊寺へ。
 
 二度目の中尊寺だが、まさか歩いてここまで来るとは
 思わなかった。 あらためて拝観する。

 金色堂を出るとすぐ脇に句碑が建つ。 
 碑面は 「五月雨の降りのこしてや光堂」
 その先、少し行くと芭蕉像と旧覆堂がある。
 中尊寺を出て少し南下すると毛越寺がある。本堂右手
 に芭蕉句碑二基がある。 
 左が芭蕉真筆になる「夏草や兵どもが夢の跡」碑。
 平泉駅から一ノ関へ電車で戻る。
   はさま街道起点道標   石兜バス亭前   金成町境界

 一石双式板碑    説明板    役場角の標柱
 一ノ関から岩出の里(岩出山町)へは、芭蕉たちがどこ
 を通ったか諸説あり不明、有力なのは金成、岩ケ崎を
 通る「はさま街道(上街道)」だが、(一ノ関市内願成寺
 近くに「はさま街道起点」の道標がある)、一ノ関から
 岩ケ崎間は地図を見ても定かでないので国道457号
 から萩荘経由の最短距離をとることにする。
 国道R457号分岐、石兜バス亭前を左へとり一路金成
 から岩ケ崎に向う。   
 この道はアップダウンが多くかなりきつい。足をなだめ
 ながらの歩きだ。鳥沢村に入ると道筋に「一石双式板
 碑」なるものがある(詳しい説明は写真で)。鳥沢川を越えて
 最後の坂を登ると栗駒町岩ケ崎に着く。
 栗駒町役場の角には「奥の細道・岩ケ崎鶴丸城址」の
 標柱が立っている。
 今日はかなりきつい一日であった。
 
 奥の細道       --------  真坂   ---    ★岩出の里(岩出山)
第4日 2003年 6月10日(火)
           岩ケ崎   ---  真坂   ------ ★岩出山
 
  上街道標柱    芭蕉衣掛けの松への道  上街道道標
 
  天王寺一里塚   天王寺追分     芭蕉像と碑
 
 岩ケ崎から岩出山へは県道17号線(奥州・陸奥上街道)
 を南下する。途中随所に上街道として整備されているが
 大半は草が覆い茂り歩くのが大変。片子沢の最初の
 上街道を行くと途中「芭蕉衣掛けの松」の案内があり、
 道を折れたが突然草むらになり残念ながら諦めて引き
 返す。しばらく進むと反対側になるのか、「・・・松」左への
 標識が立っていたがそのまま過ぎる。

 
 岩出山に入る手前に天王寺一里塚が残されており、
 上り、下りの道路に挟まれて整備されている。
 そこからしばらくで最後の上街道を下ると、天王寺追分
 にでる。出羽街道との分岐点で道標を兼ねる「山神搭」
 がある。少し南下して岩出山町に入る。
 街の一角に芭蕉像と「一宿の地」碑がある。
 ※道路整備工事中のためか参考本の場所とは少し違うようだ。
 
 奥の細道   岩出の里(岩出山) ---   小黒崎・みづの小島    -----------   
第5日 2003年 6月11日(水)
           岩出山  -----  小黒崎・みづの小島  -----  ★鳴子    
       

 案内板            みづの小島
 
 国道47号を西にとり鳴子へ。芭蕉たちは堺田「封人の
 家」まで行っているが、中山越えをすると次の宿になる
 赤倉温泉までは少し厳しい距離になるので、今日は手前
 の鳴子温泉に泊まることにする。
 
 途中にある歌枕の小黒崎は小黒崎観光センターの前
 に建つ芭蕉像と文学碑の後ろの小山を言うそうだ。

  
 
 また「みづの小島」は小黒崎から西へ約1キロ弱、国道
 47号の「65.4k」ポストの先の標柱を左に折れてすぐ
 左の道を行く。川の中に見える小島(まるで草むらみ
 たい)がそれらしい。傍らの土手に古今集東歌の歌碑が
 ある。 碑面は
       「おぐろさきみつのこじまの人ならば
              宮このつとにいざといはましを」
 
 国道に戻り西進する。鳴子大橋から左に折れて温泉街
 に入る。14:00早すぎる到着だがこれも良し。
 この後ゆっくりと温泉を楽しむ。

 奥の細道  尿前の関  --- 中山越  ---   ★堺田封人の家
第6日 2003年 6月12日(木)
         鳴子  ---  尿前の関  --- 中山越  ---  封人の家 --- ★赤倉

 標柱          尿前の関     像と文学碑
  句碑        歴史の道「中山越」   小深沢 
 鳴子温泉を後に、国道47号で大谷川橋を越えるとすぐ
 右に「尿前の関」標柱がある。少し下ると関前に出る。
 小公園に整備された左奥に芭蕉像と文学碑が建つ。

 
 関の前の左手、森の中に「蚤虱馬の尿する枕もと」
 
の句碑がある。
 その右手に「出羽街道中山越」の歴史の道の入口が
 あり、整備された道が「封人の家」まで続いている。
 道はきれいに整備され歩き易い。

               
    途中の駅跡案内板       中山越の道

             封人の家中座敷  句碑
 途中国道47号と交錯するがほとんど山中を行く道だ。
 宮城と山形の県境の先にある「封人の家」まで、約9キロ
 の中山越の峠道を一人占めしての2時間半を楽しむ。

 
 県境を越えるとすぐ堺田「封人の家」がある。 
 芭蕉が泊まった部屋といわれる「中座敷」と、建物の左
 に 句碑  「蚤虱馬の尿する枕もと」がある。
 再び国道を行き、途中で左折し県道28号線に入ると、
 山のなかの宿、赤倉温泉まで約く40分である。

  奥の細道  堺田封人の家  ----- 一刎 --- 山刀伐峠 --- 市野々 --- ★尾花沢
第7日 2003年 6月13日(金)
          赤倉 ---  一刎 --- 山刀伐峠 --- 市野々 --- 尾花沢---袖崎(JR)-天童 ★天童

 峠遊歩道入口                 峠頂上
    
  山刀伐峠峠尾花沢口    市内の清風宅と芭蕉像
 
 赤倉温泉から一刎(ひとはね)を過ぎて県道28号山刀伐
 (なたぎり)トンネル手前で旧道に入る。すぐ右に「歴史の
 道・山刀伐峠27曲り遊歩道」入口がある。
 遊歩道に入って雨になる。登りはブナの木々で雨をしの
 げ、傘はいらなかったが峠の頂上で激しくなる。
 写真もモヤっているが奥に記念碑が建っている。
 下りは雨の中を駆け足で下りる。尾花沢口に出るが雨は
 止まず、市野々から橋あたりまで降ったり止んだりが
 続く。尾花沢に入ってようやくあがる。 
 市内の「清風宅」や「養泉寺」などを見て天童に向かうが
 時間的な余裕がなく、翌日の予定も考え途中の袖崎から
 天童まで電車で行くことにする。

     
    養泉寺の涼し塚と句碑 
              「涼しさを我宿にしてねまる也」
 
 奥の細道  尾花沢 ----------   ★山寺(立石寺)
第8日 2003年 6月14日(土)
          天童   --------  山寺(立石寺)                            第5回是迄  

   山寺遠望                   根本中堂

 句碑       芭蕉と曾良像  挟まれて建つ顕彰碑

 せみ塚          仁王門     開山堂と納経堂
 
 朝、天童から山寺街道を行く。山寺までは約2時間弱、
 途中には山形名産の「さくらんぼ園」が随所にあり朝早く
 から賑やかだ。たわわに実るさくらんぼを見ながら歩く。
 立石寺は土曜日のためか9時半ですでに人の波、
 とても閑さやの気分ではなく石段を登るにも一苦労だ。
 根本中堂左側に句碑がある。
 秘宝館前には芭蕉顕彰碑を挟んで、芭蕉と曾良像が
 建つ。また急な参道の途中の仁王門下には「せみ塚」
 がある。
 ともに句は 「閑さや岩にしみ入蝉の声」である。
 
 仙山線、山形・東海道新幹線を乗り継いで帰宅する。
 


              表紙へ    目次へ   頁TOPへ    第4回へ      第6回へ