第4回 2003年 5月12日から18日(第14日〜20日目)
福島 から 石巻
第1日 福島(文字摺観音〜飯坂温泉) 第2日 飯坂温泉 〜 白石
第3日 白石 〜 岩沼 第4日 岩沼 〜 仙台
第5日 仙台 〜 多賀城 〜 塩竃 第6日 塩竃 〜 松島
第7日 松島 〜 石巻
おくの細道 福島(文知摺観音---瀬の上---医王寺) --- ★飯坂温泉 | |
第1日 2003年 5月12日(月) 福島 -- 文知摺観音 --- 月の輪大橋 --- 医王寺 --- ★飯坂温泉 |
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文知摺橋 観音堂入口の芭蕉像と 境内の芭蕉句碑 読めませんが 「早苗とる手もとや昔しのぶ摺」 福島駅から国道4号に出る。「福島競馬場」の少し先で右に 折れ、阿武隈川を「文字摺橋」で渡り30分ほどで「文字摺 観音」に着く。 |
句碑の左奥にある 観音堂前に建つ河原左大臣源融の 文知摺石(鏡石) 歌碑 「陸奥の忍ふもぢ摺誰故に 乱れ初にし我ならなくに」 右は 安洞院多宝塔 境内には「句碑」や「歌碑」に「多宝塔」など見所が多い。 |
月の輪大橋と橋名由来の碑 義経の忠臣佐藤庄司一家 地図では 阿武隈大橋でした の菩提寺「医王寺」 本堂 観音堂から少し戻り、右に県道4号へ入る。途中で左にとり 「阿武隈大橋」を渡り、国道を越え東北新幹線と本線をくぐり 少し先で右折。県道155号に出て直進し「医王寺」に向かう。 |
本堂傍の句碑 宝物館の芭蕉像と弁慶の笈 「笈も太刀も さつきにかざれ紙のぼり」 |
飯坂温泉駅前の 芭蕉像 「医王寺」から飯坂温泉へは寺の裏から坂を下り、畑道を抜 けておよそ30分ほどで着く。 飯坂温泉駅前をそのまま真っ直ぐ温泉街に入っていく。 |
旅館「花水館」玄関横にある標柱をみて石段を降りると 俳聖松尾芭蕉ゆかりの地の記念碑がある 「其夜飯塚にとまる・・・・・・馬かりて桑折の駅に出る」の 本文が刻まれている |
おくの細道 飯坂温泉 --- 桑折 ---大木戸 --- (甲冑堂) --- 斎川 --- ★白石 | |
第2日 2003年 5月13日(火) 飯坂温泉 --- 桑折 ---大木戸 --- (甲冑堂) --- 斎川 --- ★白石 |
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桑折町法圓寺本堂 芭蕉田植塚と説明案内板 飯坂温泉から県道124号で桑折(こおり)に出る。JR「桑折」 駅手前の「法圓寺」には「芭蕉田植塚」や芭蕉像がある |
境内の芭蕉像 桑折宿 追分 右 奥州街道 至仙台 左 羽州街道 至山形 |
桑折から国見町に入り、県北中学校横から右の旧街道へ。 ここから「伊達の大木戸」を越えて「貝田宿」、そして「越河宿」 へと宿場の面影を残す旧街道(奥州街道)を行く。 |
馬牛沼を越えて旧道を右へ下るとかっての難所、 鐙毀 (アブミコワシ)である。奥の細道の木標も朽ちて倒れていた。 そこからすぐに田村神社、甲冑堂があり、過ぎるととすぐに 「 斎川宿」に入り、そして白石へと続く。 |
奥の細道 白石 ‐‐‐ 大河原 --- 岩沼(武隈の松) --- | |
第3日 2003年 5月14日(水) 白石 --- 大河原 --- ★岩沼(武隈の松) |
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白石堤 奥に阿武隈川 竹駒神社本殿 |
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白石を出て岩沼・竹駒神社までは国道4号と旧奥州街道 (少しだけの)を歩くだけだ。 途中大河原で本道から離れ 一目千本桜の白石堤を行く、川面の風が心地よい。 ふたたび国道4号に出て6キロほど行き、槻木歩道橋で 雄大に流れる阿武隈川と別れると、5キロほどで岩沼 「竹駒神社」に着く。 |
竹駒稲荷神社の表大鳥居をくぐって右角に立つ句碑 碑 「芭蕉翁 さくらより松は二木を三月越シ」 神社から北に200mほどの交差点角にある 「武隈の松(二木の松)」。 すぐ後ろは史跡公園に整備されており立派な句碑がある。 |
奥の細道 岩沼 --- 中田(名取橋) --- ★仙台 | |
第4日 2003年 5月15日(木) 岩沼 --- 笠島(道祖神社・籐中将実方墓) ---名取橋 --- ★仙台 |
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入口の記念碑 形見のススキ 実方の墓 |
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芭蕉が雨と疲れでいかれなかった笠島を通り仙台へ向かう。 国道4号本郷の踏切を越え旧奥州路へ入る。 館腰神社の手前に「道祖神路」の道標が建つ。 側面に芭蕉の句 「笠島はいづこさ月のぬかり道」が刻ま れており句碑を兼ねている。 その先を左折し、田端の中を真っ直ぐ延びる県道126号を 行き、県道39号に出て坂を登ると「道祖神社」がある。 |
道祖神社から道を下って北約1キロ。案内板で左折し少し 行くと、右に整備された小公園がある。 立派な「笠島は・・・」の句碑と記念碑が建つ傍らに「形見 のススキ」、その右奥の森には西行の歌碑と、玉垣の中に 籐中将実方の墓がある。 西行歌碑 「朽もせぬその名ばかりをとゞめをきて かれのゝ薄かたみにぞみる」 |
名取橋 青葉城址の伊達正宗公銅像 |
参道東照宮 本殿 |
昼より雨になる。県道39号から国道4号へ。雨の「名取橋」 を渡り仙台へ。広瀬川にかかる「広瀬橋」を渡り市街に入る。 宿を取り雨の中仙台市内を散策する。 |
芭蕉たちは翌日訪れた東照宮も見学する。 |
奥の細道 仙台 ‐‐‐岩切(十付の菅)--- 多賀城(壷碑) --- ★塩竃(末の松山・野田の玉川・おもわくの橋) | |
第5日 2003年 5月16日(金) 仙台 ‐‐‐ 岩切(十付の菅) --- 多賀城(壷碑・末の松山・おもわくの橋・野田の玉川) --- ★塩竃 |
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榴ヶ岡天満宮本殿 句碑 |
薬師堂 准胝観音堂と芭蕉句碑 |
朝から雨。雨の中をまずは「榴ヶ岡天満宮」に行く。 句碑は 「あかあかと日はつれなくも秋の風」 |
南へ下って陸奥国分寺跡へ。薬師堂と道一つはさんだ西 にある木下公園の准胝観音堂に芭蕉句碑がある。 句は 「あやめ草足に結ん草鞋の緒」 |
東光寺 十符の菅跡? |
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仙台陸奥国分寺跡から多賀城へ。県道8号から途中、岩切 で今市橋を渡ると「おくのほそ道」と書かれた立派な石碑の 建つ「東光寺」がある。 500mほど西に行き右に折れる。 歌枕「十符の菅跡」と思われるところは住宅街である。 塩竃街道に戻り、東光寺からすぐの道脇に「青麻道」の 立派な道標が建つ。 |
そのまま塩竃街道(県道35号線)を行き、「市川橋」を渡っ てすぐの旧道分れに道標が建つ。 左に旧道をとると陸奥総社宮へ。そこから多賀城政庁跡、 多賀城碑へと散策路が続く。 |
壷の碑(多賀城碑) 句碑 |
沖の石 末の松山 野田の玉川 おもわくの橋 |
芭蕉が関心をよせた壷の碑(多賀城碑) 覆堂の中の石標 文面は読めません。その傍らには芭蕉句碑 「あやめ草・・・」がある 多賀城跡から末の松山・沖の石・野田の玉川・おもわくの橋 へは市街地をめぐる案内が整備されている。 |
多賀城碑を見た芭蕉と曾良は塩釜に入った後、末の松山・ 沖の石・野田の玉川・おもわくの橋と見て廻った。 野田の玉川はコンクリートで整備され、川沿いには遊歩道 が続いている。 野田の玉川跡から塩釜へはすぐである。 |
奥の細道 塩竃(塩竃神社) 〜〜〜 ★松島(雄島・瑞巌寺・五大堂) | |
第6日 2003年 5月17日(土) 塩釜(塩竃神社) 〜〜〜 ★松島(雄島・瑞巌寺・五大堂) |
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塩釜神社本殿 宝塔 塩釜桜 |
志波彦神社 細道碑 御釜神社 |
朝、ホテルから塩竃神社に詣で「古き宝塔」「塩竃桜」を見る。 |
神社を東門から裏参道にむかうと「志波彦神社」があり 赤い鳥居の左奥に「芭蕉翁奥の細道碑」がある。そのまま 裏参道を出て新町川を渡っていくと、右に芭蕉たちが塩竃 に入ったその日に見た御釜神社がある。 |
赤い橋 雄島からの眺望 芭蕉曾良句碑 |
五大堂 瑞巌寺 本文碑 |
午前10:00 観光船で松島へ。50分の船旅で松島に着く。 さすが日本三景の名所、観光客が多い。まずは「おくの細道」 の本文どうり赤い橋を渡って雄島へ。小さな島を一周する。 島の東岸の北に芭蕉句碑とその奥に曾良句碑が建つ。 芭蕉句碑「芭蕉翁 朝よさを誰まつしまぞ片心」 曾良句碑 「松島や鶴に身をかれほとゝぎす」 |
つづいて「五大堂」から「瑞巌寺」へ。 曾良日記では 「瑞岩寺詣 不残見物」とある 本堂門外にある「芭蕉翁奥の細道松島の文」碑には 「抑ことふりにたれど・・・」から 「・・・いづれの人か筆をふるひ詞を尽くさむ」までの本文が 刻まれている。 松島を残らず見て宿に入る。 |
奥の細道 松島 --- 高城村 --- 小野 --- 矢本 --- ★石巻(日和山・住吉の社) | |
第7日 2003年 5月18日(日) 松島 --- 高城村 --- 小野 --- 矢本 --- 石巻(日和山・住吉公園) 第4回是迄 |
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国道標識 石巻街道石標と歴史の道案内板 |
芭蕉曾良像 句碑 袖の渡りと巻石 |
松島の宿をを出て国道45号(石巻街道)を行く。 午前10:30国道の気温表示は13℃、少し肌寒い。 鳴瀬町岩ケ沢で「小野橋」を渡る。役場の手前に石巻街道 石標と歴史の道の案内板がある。国道45号に戻り東進、 矢本町から石巻市に入って国道398号へ、そのまま「日和 山公園」に行く。 |
日和山公園の一角に芭蕉・曾良像が建てられている。 また公園内にある鹿島御児神社境内の老木の根元には 芭蕉句碑がある。句は「雲折々人を休める月見かな」で 奥の細道には関係ない。 日和山から北の住吉公園には「袖の渡り」と石巻の地名 発祥の元となった「巻石」がある。 仙石線で仙台に戻り、東北・東海道新幹線で帰宅する。 |