第14回 2005年 4月21・23日 (第64日〜65日目)
高月 から 柏原 - 今須 - 関が原 − 垂井 - 大垣
第1日 高月 〜 北国脇往還(国道365号) 〜 中山道柏原 〜 今須 〜 関が原
第2日 関が原 〜 垂井 〜 美濃路 〜 大垣・奥の細道むすびの地
おくの細道 敦賀 ---------- 経路不明 ---------- 大垣 | |
第1日 2005年 4月21日(木) 高月 --- 北国脇往還(国道365号) --- 中山道柏原 --- 今須 --- 関が原 追加 北国脇往還(旧道) 2005年5月21日歩く |
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小谷城址 国道365号(北国脇往還) 姉川古戦場 「春照下」からの伊吹山 |
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8:25 薄曇の高月駅を出る。10分ほどで国道365号(北国脇往還)に入る。朝から車の多い国道を淡々と行く。 30分ほどで左手に「史蹟小谷城址」が見える。ところどころに咲く菜の花やタンポポなどを眺めながらの歩きだ。 左に刻々と変わる伊吹山の山容を見ながら進む。姉川の「野村橋」手前左に「姉川古戦場」の看板が見える。 道端に咲く菜の花ごしに写真をとる。車では走り慣れた365号線だが、歩いてみるとトラックの多いのに驚かされる。 特に歩道のないところでは大型トラックとのすれ違いは脅威だ。 春照(すいじょう)から高番の交差点を過ぎると国道は伊吹山の裾野を巻くように登っていき、藤川から下って 関が原へ出る山道のため、高番から県道551号で中山道柏原へ向かうことにする。 |
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須川の県道551号 中山道 柏原宿 柏原の楓並木 「寝物語の里」碑 |
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車もほとんど通らない県道は大野木辺りからはのどかな畑のなかを行く歩きだ。 新幹線の見える東大野木の児童公園で休憩兼昼食をとる。新幹線が何本か通り過ぎる。傍で見るとそのスピード にはいつもながら圧倒される。新幹線のガードをくぐり田園風景が広がる道をのんびりと行く。須川の辺りでは見事 な菜の花が咲き春の盛りを感じる。そこからしばらくで東海道線のガードをくぐってすぐ「八幡神社」の角をまがると 柏原宿中山道だ。宿場を抜け、楓並木の下の中山道を今須宿へ向かう。 長久寺の県境近くに「寝物語の里」の大きな石碑があり、前に寝物語のいわれの説明の碑文がある。 |
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近江美濃両国境寝物語 石柱 境界傍の芭蕉句碑と新しい「芭蕉道」2基の石碑 |
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その先すぐに近江と美濃の国境がある。きれいに整備された「近江美濃両国境寝物語」の石柱が建ち国境線の 細い溝が掘られている。そこから美濃側に入った傍に大きな石の句碑「正月も美濃と近江や閏月」(芭蕉全句 集にはない)と、「野ざらし芭蕉道」と芭蕉の句「年暮れぬ笠着て草履はきながら」(野ざらし紀行の芭蕉が上野 への帰路今須を過ぐるときの吟とある)。その右奥に「おくの細道芭蕉道」と彫られた真新しい石柱が建つ。 「野ざらし芭蕉道」は分るが「おくのほそ道芭蕉道」とは。はたして芭蕉もこの道を通ったのだろうか? 石柱裏に書かれた文は 「・・・8月14日敦賀に入る 18日ごろ大津から出迎えの露通を伴い大垣に向かう 途中郷里伊賀上野に立寄り大津を経て27日美濃に入る今須山中を経て28日赤坂虚空蔵に詣で大垣に至る ・・・・ 高橋清虚識 」 平成16年3月建立 芭蕉顕彰会 とある。 |
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今須宿 問屋場 山崎家 今須宿一里塚跡 関が原宿藤下 常盤御前の墓と 芭蕉句碑 *2006年2月追加 |
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今須宿には現存する「問屋場」の山崎家がある。静かなたたずまいの宿場町を抜けると国道21号線へ出る。 国道傍に「一里塚跡」が残る。ここから横断歩道のない国道を横切り「関が原宿山中」へ。名前のとうり木立の 中の道を下っていく。途中に「常盤御前墓所」があるそうだが見過ごす。 *2006年2月22日「常盤御前墓所」を確認する。新幹線のガードの手前を左に入ると 小さな広場があり片隅に「常盤御前」の墓がある。 墓の後ろに 「義朝の心に似たり秋の風」貞享元年(1684)〜野ざらし紀行〜の 芭蕉句碑が建つ。 「山中」から再び21号線を高架橋で渡り「関が原宿藤下」へ入る。 |
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関跡前の道標 左の建物の奥が「不破の関跡」 関跡にある芭蕉句碑 「秋風や藪も畠も不破の関」 〜野ざらし紀行〜 |
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藤古川を渡って少し登ると左へ切れる角に「中仙道」の道標がある。道標の前の建物の奥に「不破の関跡」がある。 関跡から旧道を行き国道21号に出る。国道を渡り右に折れ、左に「西首塚」をみて国道365号との交差点を渡る。 「十六銀行関が原支店」前で、左に「北国脇往還」を分けるとすぐに関が原駅に着く。 15:15 時間的にはまだ先に行けたが最後の楽しみを残し帰途に就く。 |
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奥の細道 ---------- 大垣・むすびの地 |
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第2日 2005年 4月23日(土) 関が原 ------ 垂井 -- 美濃路 --- 大垣・むすびの地 是にて最終回 |
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関が原旧中山道松並木 垂井一里塚 日守の茶屋 「南宮近道」の道標 |
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10:00 快晴の関が原駅を出る。いよいよ最終行程になった。 10分ほど国道21号を行き斜めに旧道へ。松並木の残る整備された道を通り関が原宿「野上」へと入って行く。 集落を抜け国道21号に出ると垂井に入る。国道を横断し坂を少し上がると「垂井の一里塚」がある。中山道に 二ヶ所ある国指定の一里塚の一つだそうだ。傍に「日守の茶屋」がある。説明板によると「関が原山中」の 「常盤御前」の墓所にあったものを明治にこの一里塚横に移したものだそうだ。少し下った道端に「南宮江近道 八町」の道標が残る。再度21号線を高架で超え東海道線の踏切を渡ると「垂井宿松嶋」に入る。 |
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垂井宿 西の見付 「芭蕉冬籠」の本龍寺 垂井宿の商家 南宮大社大鳥居 *2006年2月写真追加 本龍寺「芭蕉作り木塚」 垂井の泉 芭蕉句碑 |
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集落を少し行くと垂井宿「西の見付」があり、すぐに芭蕉ゆかりの「本龍寺」に着く。ここは高札場跡でもある。 *本堂左の「時雨庵」との間にあるたくさんの石碑のなかに、「作り木の庭をいさめるしぐれ哉」元禄四年(1691) の立派ね句碑が建つ。当寺で冬籠りをした折に詠まれたものとある。 古い商家の「油屋卯吉家」や問屋場「金岩家」をみて、南宮大社の大鳥居をくぐった先の玉泉寺の前に「垂井の泉」 があり傍らに「葱しろくあらひたてたるさむさ哉」元禄四年(1691)の芭蕉句碑がある。 (*の部分2006年2月22日追加) 旧道に戻り、当時の姿を残した旅籠「亀丸屋」をみて宿場を抜けると相川の袂が「東の見付」である。 |
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鯉のぼりが泳ぐ相川 中山道・美濃路追分 道標 美濃路の松並木 |
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相川を渡り道を右へとる。すぐの梅谷川を渡ると美濃路との追分である。「左中山道、右美濃路」の道標があり傍に 「追分庵」が建つ。庵で抹茶を頂戴する。主婦の方がボランティアでやってみえるそうだ。 しばらく話をして失礼する。美濃路に入るとしばらく松並木が続き、街道を歩いている気分になる。綾戸の細い道を 車に気を付けながら歩き、綾戸口で21号線を横断して県道31号線に入る。「むすびの地」まであと5キロ弱だ。 |
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「芭蕉木因遺跡」石柱と芭蕉句碑 13:10 奥の細道むすびの地 到着 芭蕉 木因像 |
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秒読みに入った県道31号を行く。これまでの旅の思いが頭をよぎる。早く着きたい気分と終わりたくない気分が 交錯する。杭瀬川を越え近鉄養老線の踏切を渡った若森町に「史蹟 芭蕉木因遺跡」の石柱が建つ。 民家の間を入っていくと「正覚寺」の本堂前に「句塚」があり、奥に「芭蕉翁」碑と句碑が見える。 句は「あかあかと日はつれなくも秋の風」。 県道交差点を地下道でくぐり反対側に出ると芭蕉と木因の像が建つ「奥の細道むすびの地」はすぐである。 13:10 最終目的の大垣・奥の細道むすびの地に到着。私の「おくの細道歩き旅」も終わった。 2002年10月 深川を出発し、千住から歩き始めてちょうど2年と6ケ月、延べ65日間の 「奥の細道歩き旅」であった。 奥の細道 終章 ・・・・・。旅の物うさもいまだやまざるに、長月六日になれば、伊勢の遷宮をがまんと、 又舟にのりて、 蛤のふたみにわかれ行秋ぞ |
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このあと芭蕉は水門川から揖斐川を舟で下り桑名から 伊勢に向かっている 芭蕉送別連句塚 秋の暮れ行く先々ハ苫屋哉 木因 萩にねようか萩にねようか 芭蕉 霧晴ぬ暫ク岸に立給へ 如行 蛤のふたみへ別行秋そ 愚句(芭蕉) |
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番外編 ミニ奥の細道 芭蕉句碑めぐり 「奥の細道」全行程2,400kmを愛宕神社(錦町)から奥の細道むすびの地(船町)までの2.2km に見立てています。「奥の細道」の旅で芭蕉が詠んだ句から代表的な20句を選び、句碑と句が詠ま れた土地の説明板が立てられ、「矢立初の句碑」「蛤塚」とあわせた22句で芭蕉の足跡をたどります。 〜 観光パンフレットから〜 「おくの細道歩き旅」を終えた私は駅までの道を逆にたどり、長かったようで最後は何か呆気なく 終えた旅に思いを馳せました。 句碑の写真は「蛤塚から矢立初」まで逆順になっています。 |
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結・蛤塚・大垣 色の浜 敦賀 蛤のふたみに別行秋そ さびしさやすまに勝ちたる浜の秋 名月や北国日和定めなき |
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加賀全昌寺 那谷寺 小松 金沢 庭掃て出はや寺に散柳 石山の石より白し秋の風 しほらしき名や小松吹萩薄 あかあかと日は難面も秋の風 |
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那古 市振 越後 酒田 わせの香や分入る右は有そ海 一家に遊女も寝たり萩と月 荒海や佐渡によこたふ天河 暑き日を海に入レたる最上川 |
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出羽三山 本合海 立石寺 尾花沢 有難や雪をかほらす南谷 さみたれをあつめて早し最上川 閑さや岩にしみ入蝉の声 涼しさを我宿にしてねまる也 |
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封人の家 平泉 笠島 須賀川 蚤虱馬の尿する枕もと 夏艸や兵共が夢の跡 笠島はいつこさ月のぬかり道 世の人の見付ぬ花や軒の栗 |
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遊行柳 日光 始・矢立初の句碑・千住 田一枚植て立去ル柳かな あなたふと青葉若葉の日の光 行春や鳥啼魚の目ハ泪 |
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北国脇往還 木の本〜関が原
〜きままに歩く〜奥の細道〜、最後までご覧いただきありがとうございました。