「奥の細道」 追加
2005年 5月21日(土)
北国脇往還 木之本宿から関が原宿を歩く
参考文献 北国街道と脇往還
〜街道が生んだ風景と文化〜
企画編集発行・市立長浜城歴史博物館 (サンライズ出版)
「きままに歩く奥の細道」本文では木之本から関が原間を国道365号線を中心に中仙道を歩いたが、 今回は市立長浜城歴史博物館が企画した特別展「北国街道と脇往還」の展示解説図録として編集され 出版された文献が手に入ったのを機に、「北国脇往還」全行程約40キロを歩いた。 「奥の細道」で芭蕉が通った可能性が高いといわれる脇往還を、文献の地図(国土地理院発行2万5千分の1 地形図を、更にMapFan.netの1万2千5百分の1に写した)に沿って忠実に歩くつもりであったが、旧道を探せ なかったり見落としたところも何ヶ所かあった。 尚、文献では関が原宿(中山道合流点)から木之本宿へと紹介されている。 |
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北国脇往還 木之本 ---郡上---伊部---春照(すいじょう)---藤川---玉--- 関が原各宿 | |
北国街道・脇往還分岐点 雨森の道標 高時川左旧道?道なし 馬上(まけ)の道標 |
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8:40 絶好の歩き日和のなか木之本駅を出る。「北国街道」を少し歩き分岐点から「脇往還」に入る。 一本目の筋を折れ斜めに曲がりながら国道303号に出る。前回歩いた部分を少し行き、国道365号線の田部の 交差点で左折し旧道に入る。しばらく右、左折しながら雨森の集落へ。道端に「北国脇往還・右せきがはら」の道標 がある。集落を出ると道は高時川の堤防へ入っていく。地図では途中から左斜めに高時川を渡り阿弥陀橋の先の 袂に抜けているが今は道はない。それとおぼしき所はグランドゴルフの駐車場へ降りる道になっている。 堤防をそのまま行き、国道で阿弥陀橋を渡る。国道は右にカーブしていくが直進し馬上(まけ)の集落へ入る。 小川のほとりに「右 すぎのかないはら道 左 北国きのもと道」と刻まれた道標が立つ。すぐ先で水車が回りひと とき時代をタイムスリップする。 |
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馬上集落の水車 郡上宿の高札場跡 伊部宿 伊部本陣跡 |
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馬上の集落を抜け、国道の小さな橋で山田川を渡り左折、「こもれび苑」前を右折し、二俣の交差点で国道を横断、 1キロほど先で再び国道を横切り左折し、すぐ右折、郡上宿へ入る。このあたりの旧道は右、左折の繰り返しだ。 宿の中ほどに「高札場跡」がある。小谷城址を背中にして郡上南で国道を横断し左折、右折して伊部宿に入る。 伊部の本陣跡を左に見て進むとT字路に突き当たる。 |
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小谷道合流点?(伊部) 八島の道標 八島の道標 野村の道標 |
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ここが右からの「小谷道」合流点と思っていたが、あらためて文献地図を確認すると一本手前の道が旧道になって いる(手元の1万2500分の1地図にこの道はない)。 ここで旧道を見落とし、いったん国道に出てUターンし旧道 にもどる。再び右左折をしながら尊勝寺集落から八島集落へ。入ってすぐに「左 江戸道」の道標があり左折する。 旧道はそのまま直進して内保への道を横断し国道に出るが、ここで内保へ右折してしまい道を外してしまった。 旧道に戻るとすぐにもう一つの道標があり「東 関が原約五里 西 木之本みち 南 内保約五丁 北 田根みち」 の字が四面に刻まれている。そのまま国道365号に出て、約2キロほど国道を行き野村西の交差点を左折する。 すぐの農道を右にとり野村の集落へ入る。 四つ角にある道標「左 江戸谷汲 右 北国道」をみて左折し、少し先 で斜め右へ。右に姉川の古戦場跡を見ながら佐野の集落へ入る(文献の地図ではこの農道部分は道がないこと になっている)。 浅井南公民館(南小学校敷地跡)の前を直進し、少し先のふたまたに分かれる道を左にとると 今荘集落に入っていく。 |
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今荘 今荘集落出口から正面旧道 林道の旧道 旧道「小田橋」通行不能 |
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わずかな今荘集落を抜けると坂浅東部広域農道(国道365号藤川交差点から野村西交差点を結ぶ)に出る。 正面に旧道が見える。「今庄ぶどう園」の東を通って旧道を行くとすぐに林道になる(手元の地図にはこの道は載っ ていない)。 20分ほどの林道歩き(伊吹町側の100mほどは少し荒れている)で広域農道に出る(文献地図では そのまま斜めに道が続いているが探せない)。少し広域農道を歩きすぐの田んぼ道を右に降りていくと姉川に突き 当たる。川に脚注だけが残っているのでこれが「小田橋」と思われるが確信はない。 上、下流に離れて橋が架かるが対岸の確認しやすい上流の橋に迂回する。広域農道の「伊吹大橋」で姉川を渡り 県道40号で対岸の旧道に出る。 |
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小田(やないだ)八幡神社の道標 春照(すいじょう)八幡神社の道標 春照宿 本陣跡 |
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小田(やないだ)で小田橋までのわずかな道を探すが確認できず、八幡神社にある道標「右 江戸道 左 山中道」 を見て旧道に戻り春照(すいじょう)に向かう。春照宿へ入る手前に八幡神社があり、その角に「右 北国きのもと ゑちぜん道 左 ながはま道」と記された立派な道標がある。北国脇往還と長浜街道の分岐点である。 春照宿へは左斜めに道をとる。 「春照宿本陣跡」を見て集落を抜け、道を左にとると伊吹の山麓を縫っていく登りになる。 |
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野頭観音堂跡碑と芭蕉句碑 寺林の旧道(正面) 北国街道寺林宿の標柱 藤川宿 |
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しばらく道を登って行き、「ジョイ伊吹」への看板を見るとすぐ「野頭観音堂跡」に着く。史蹟の碑と芭蕉句碑がある。 句は「頭布めせ寒むや伊吹の山おろし」。芭蕉がこの地で詠んだと説明にはあるが「全句集」に見当たらない。 ここからしばらく旧道が続くことになっているが、すぐに弥高川を渡った先で道は途切れる。しばらく探すが分からず 広域農道を歩く。少し行くと右に「通行止」と書かれた林道が見える。多分位置的にもこれが旧道ではないかと思う が、それにしてもかなり荒れている。大清水への道を過ぎるとすぐ右に旧道(林道)がある。神戸(ごうど)の集落ま でわずか100mほどの道だ。神戸からまた広域農道に戻る。歩道がなく大型トラックの多いこの道は怖い。 ましてや山中の登りなので上から大型トラックがすっ飛んでくるさまは言いようがない恐怖さえ感じる時がある。 文献地図では途中で右に旧道があるはずだが、気がついたら上平寺の交差点まで来てしまっていた。 どうやら林道への入口を見落としたようである。 時間的に余裕もなくなってきており、引き返すのをあきらめ寺林 へ下りる。寺林宿跡から少し旧道を戻ると立派な道路の先に、入口に鎖のかかった旧道を確認する。 500mほどの旧道を外してしまったが、果たしてこの山道の旧道は歩けるのだろうか?。 寺林に戻り、集落とは とても思えない小さな宿跡から右カーブの細い坂道を下りて、左にX字に回り込み藤古川を渡る。 藤川宿までは真っ直ぐ10分ほどである。 |
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関が原 玉宿 徳川家康最後の陣地 東首塚 脇往還 中仙道合流点 |
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藤川宿を抜けると国道365号に出る。文献地図ではここから藤古川に沿って旧道が続いているが確認できない。 畑仕事のお婆さんに確認するが、答えは国道を行けとのこと。そらそうだわな〜。仕方なく怖い国道を歩いて玉宿 に入ることにする。16:28 県境を越え近江(米原市)から美濃(関が原市)に入る。 途中の橋の上から下を見ると確かに道はあるが片側で切れているようにも見える。玉宿えは少し先の「円通寺」へ の道を下りる。石垣の美しい玉の集落を通り、道は一旦国道へ。ここからは歩道がある。 伊吹山ドライブウエイ入口を横断し斜め後ろに旧道をとる。国道21号バイパス高架下で365号を横断し小関集落 へ入る。あちらこちらに陣地巡りの案内板がかかる道を、一路最終地に向かう。突き当りを左にとり国道を高架橋 で越える。左に「徳川家康最後の陣地」を見て直進、「東首塚」を見て「旧跨線橋」を渡ると21号線が見える。 北国脇往還最終点、中仙道合流点である。17:25無事着。 8時間45分の歩き旅でした。 感想 ◎ とにかく直角に曲がるところの多い道で、特に村落部でその傾向が強い。 (文献によると南北軸の条理線を無視して斜めに西北に向かうこの街道ならではの特徴だそうだ) ◎ 木之本から歩くと後半に山中歩きがあるので、関が原から歩くのが楽でまた道を拾い易い。 ◎ 関が原から歩くと北陸線に近づいていくため、万一途中で不測の事態があってもエスケープできる 可能性が高い(あまり手前だと同じだが)。 ◎ 宿場自体はそれほど大きな集落はないが、宿場間が短いので違った宿の雰囲気が楽しめる。 ◎ 約40キロと短い街道なので一日で終わらせることができる。 |