第13回   2005年 4月15日から 4月16日(第62日〜63日目)
            
          南今庄 から 木の芽峠 -敦賀-色の浜 − 刀根越え - 木之本-高月
 
            第1日 南今庄 〜 木の芽峠 〜 敦賀・色の浜  
           第2日
 敦賀 〜 刀根越え 〜 木の本 〜 高月
            
                                              

 おくの細道     木の芽峠  -----  ★敦賀 〜 種の浜
第1日 2005年  4月15日(金)
           南今庄 -----  木の芽峠  ---  ★敦賀 =レンタカー= 色の浜
    
 下新道県道207号で  二ツ屋から木の芽峠へ   二ツ屋集落先 往還一里塚    旧二ツ屋宿場跡 
 
 9:55 快晴のなか南今庄からの再開である。 歩き始めていきなり「クマ注意」の看板である。倶利伽羅峠、
 山中温泉、湯尾集落以来の看板だ。下新道、上新道の集落を左右にみて少し行くと「二ツ屋」から木の芽峠への道
 を左に分ける。 県道207号線から分かれてしばらく行くと二ツ屋集落に入る。
 集落を抜けて静かな林道歩きを楽しむ。途中に「往還一里塚跡」の標識がありすぐに「旧二ツ屋宿場跡」に着く。
 辺りには「日吉神社」や「制札場跡」「明治天皇行在所跡」などの標柱・標石などが残雪のなかに立つ。
 かなりの残雪に一瞬不安がよぎる。宿場跡を過ぎると道はどんどんと高度を上げて行く。途中「首切り谷」の標柱を
 みるとすぐに「木の芽峠登り口」に着く。

 
   
   峠登り口 雪多く通行止        雪のゲレンデにある「北陸道」案内板  道元禅師入越慕古の道 石碑 
    

 不安は的中した。道は残雪で「通行止」の看板である。しばらく思案する。雪の下の道の様子がよく分からないが
 取り付きは結構広いようだ。雪の深さは20〜30センチほどで薄く、人の歩いた足跡が残っている。
 踏んでみると5センチほどの沈み込みだ。道を外しても膝までの埋もれである。意を決して行くことにする。
 足跡をトレースしながら慎重に行く。ときおり雪の解けた道の端などを歩きながら進む。10分ほどでスキー場の
 ゲレンデに出る。雪の中に「北陸道」案内板があり誘導してくれる。ゲレンデの中ほどで右への指示があり登山道に
 入る。ときおり木の枝に結ばれた水色のビニール紐を拾いながら行く。この目印には助けられた。
 途中「道元禅師入越慕古の道」なる標石をみて右に切れ、もう一つのゲレンデを横切ると「言奈(いうな)地蔵」は
 すぐ目の前だ。 

   
   言奈地蔵              木の芽峠と前川家(今庄側)                    敦賀側   
 
 茅葺の洒落た地蔵堂の周りだけはなぜか雪がなかった。ちょうど下を通る道路から登ってくる道があり、雪はしっか
 りと除雪されている。地蔵堂から木の芽峠まではすぐだが、スキー場の道から除雪された雪に行く手を阻まれる。
 雪の少ないところを乗り越え、道(と思われる雪の上)に戻ると今度は数メートルほどの雪の斜面だ。
 左に切れ落ちる雪の斜面を慎重に足場を固めてトラバースする。冷や汗をかきながら雪道に戻りやっと峠に着く。
 峠登り口から40分弱である。
 峠には平家を祖とする茶屋番の前川家があり現在も住まわれている。敦賀側には雪はない。

      
     峠道の ふきのとう    ショウジョウバカマ         道元禅師入越慕古の道 石碑   新保口 
 
 石畳の峠道を少し下り山道の急坂を行く。ときおり雪解け水で濡れた所もあるが全般的に歩きやすい山道である。
 道の半ほどでは「ふきのとう」が芽を出し、「ショウジョウバカマ」の群生もみられ気分よく歩ける。
 およそ30分弱で国道476号木の芽トンネル口に出る。国道をくぐり新保の登り口を過ぎると新保集落に入る。
 集落を通りぬけ国道前のバス停で昼食をとりながら休憩する。この道は「中部北陸自然歩道」になっている。
 休憩の後敦賀へ向かう。国道をしばらく歩き北陸自動車道手前から旧道に入り、葉原、獺河内を抜けて国道へ、
 樫曲から再び旧道へと入り、深山寺、川北と進み川原町で北陸本線の踏切を越えて左折する。
 あとはまっすぐ「気比神宮」に向かう。

    
    気比神宮 大鳥居        芭蕉像 台座の句碑       境内の句碑        月5句碑
 
 「気比神宮」の大鳥居をくぐり、左手本殿と向かい合うように芭蕉像と句碑が並ぶ。
 像の台座に 「月清し遊行のもてる砂の上」。 
 左に月5句を詠んだ大きな石碑があり句は
    「国々の八景更に気比の月」「月清し遊行のもてる砂の上」「ふるき名の角鹿や恋し秋の月」
    「月いつく鐘ハ沈る海の底」「名月や北国日和定めなき」である。
 その後ろにも露塚と句碑があり
 句は初案の 「なみだしくや遊行のもてる砂の露」

     
  金前寺 鐘塚          金崎宮        市民文化センター 句碑      天屋玄流宅跡 芭蕉翁逗留出雲屋跡
       
 
 「気比神宮」から「金前寺」までは10分ほど。本堂裏手の境内に芭蕉鐘塚「月いつこ鐘は沈るうみのそこ」がある。
 その裏手から階段を少し登ると「金崎宮」に出る。ちょうど桜まつりが開かれており見事な桜のなかを参拝する。
 再び市街に戻り「市民文化センター」へ。ここの句碑は「国々の八景更に気比の月」。そこから少し西に向かうと
 「あみや旅館」の駐車場端しに「天屋玄流宅跡」石柱(前に車が止まっており写真が撮れない)。
 また、駅のほうに戻ると相生町のレストラン「梅田」の前には「芭蕉翁逗留出雲屋跡」の石柱がある。そのまま駅に
 戻る。時間は16:30。
 日が長いので思い切って「色の浜」に行く。芭蕉は船で海上を行ったが私はレンタカーを使う。
  
   
  常宮神社と句碑                     色の浜開山堂と芭蕉句碑          西行歌碑   
   
 
 敦賀市街から「気比の松原」を右にみて県道33号から141号へ。すぐに「常宮」に入る。 
 ここには「常宮神社」があり、参道入口の鳥居の左手に芭蕉句碑がある。
 句は「月清し遊行のもてる砂の上」と看板にあるが碑は風化が激しく読めない。神社には参拝記念にと「ますほの
 小貝」が置かれていた。ありがたく対2個をいただいく。
 常宮から10分ほどで「色の浜(本文では種の浜)」に着く。バス停から集落へは大きな案内板があり、坂を下りてい
 くとすぐに「開山堂」があり、堂の左横に 芭蕉句碑「寂しさや須磨にかちたる濱の秋」と 
 西行歌碑「潮染むるますおの小貝拾ふとて色の濱とは言ふにやあるらん」がある。

  
  色の浜本隆寺           句碑 2基                               ますほの小貝
 
 更に奥に行くと、「白山神社」の先の左手に「本隆寺」(本文では侘しき法華寺とある)があり、正面の境内に句碑が
 2基見える。手前に「衣着て小貝拾わんいろの月」、奥に「小萩ちれますほの小貝小盃」が建つ。
 
 常宮神社でいただいた「ますほの小貝」は1センチ弱の小さなもので薄いピンク色をしている。ちなみに「色の浜」の
 砂浜では貝を見つけることはできなかった。(貝があるような浜にはみえなかった)。


  奥の細道    敦賀 -----  経路不明  ----- 大垣
                                                     
 第2日 2005年  4月16日(土)
            敦賀 -- 刀根 -久々坂峠(刀根越え)-柳ケ瀬  --- 木之本 -- 高月    第13回是迄
 
    
   国道8号 疋田交差点    麻生口 玄蕃尾城案内板   旧北陸本線小刀根トンネル  刀根 気比神社

 7:15 敦賀駅前のホテルを出る。国道8号を南下、小浜線の踏切手前で道路の温度標識は13℃。少し肌寒い。
 小河口、市橋と旧道を拾って行く。「疋田」で国道161号(西近江路)と分岐、標識に「大垣」と出る。すこし先の奥野
 の入口にある標識には大垣まで76km」とある。大垣まで100キロを切り、もう少しでこの旅も終わりになる。
 出発から1時間半で麻生口の分岐に着く。国道8号を行けば塩津街道から木之本へ、東にとれば県道140号(柳ケ
 瀬街道)から北国街道で木之本へでる。しかし先の「柳ケ瀬トンネル」は歩行者通行禁止である。
 
参考にさせて頂いているHPでは塩津街道が無難とあったが柳ケ瀬街道に入る。(実はこの歩き旅で一番悩まされ
 たのがここからどのルートをとるかだった。参考本の行程も北国街道なっておりどうしても柳ケ瀬ルートをとりたいと
 HPで調べたところ、柳ケ瀬山山頂にある「玄蕃尾城跡」に刀根側と柳ケ瀬側からのコース案内があった。いわゆる
 「刀根越え」である)。柳ケ瀬街道への入口に「玄蕃尾城跡」への案内板がある。
 途中、旧北陸本線の「小刀根トンネル」跡をみながら30分強で刀根集落入口の「気比神社」に着く。
 峠越えの無事を祈って参拝する。

    
  柳ケ瀬トンネル        右に久々坂峠登り口      久々坂峠            玄蕃尾城跡 本丸跡

 刀根の集落を抜けてしばらく行くと問題の「柳ケ瀬トンネル」である。
 峠へはトンネルの信号を左折しすぐ右に回り込む。しばらくは舗装された林道を行き、途中で案内の標柱に従い
 砂利道へ。「落石注意」の看板を見ながら急登していくと少し開けた場所に突き当たる。車で来る人の駐車場である。
 右に切れ込んだ登り口を九十九折れに登っていくとすぐに「久々坂峠」の案内板のある峠に着く。
 柳ケ瀬へはそのまま直進するが折角なので「玄蕃尾城跡」を見学する。案内板のあるすぐ前に芳名帳が置かれた
 ボックスがあり、その横が城址への登り口だ。山頂の城址まで10分ほど歩く。大きな案内板がある。
 土塁や空堀の遺構が標柱でわかる広大な山城の跡である。この城は賎ケ岳の合戦時に柴田勝家の本陣であった
 とのこと。しばらく見学して峠に戻り柳ケ瀬へ下る。
 
    
  こぶし咲く           柳ケ瀬側登り口      柳ケ瀬集落北の道標       下余呉の道標
  柳ケ瀬側登山道       なぜかこちらは倉坂峠  右 えちぜん かがのと道       右 北国街道
                                    左 つるが 三国ふなのりば       左 権現越え 
 
 下りは登山道である。余呉町のHPでは城址へのハイキングコースになっているが、時期的なものか峠付近はほと
 んど踏まれた跡がない。しばらく細い道を行くが途中から広くなる。こぶし咲く道を落ち葉を踏んで気持ちよく歩く。
 中間辺りで一人のハイカーに会うが登りは結構きつそうだ。20分ほどで柳ケ瀬側の登り口に着く。
 柳ケ瀬集落の北のはずれに 「右 えちぜん・・ 左 つるが・・」の道標があり、明治初年には明治天皇も通った
 敦賀を結ぶ主要道だそうである。そのためか刀根にも柳ケ瀬にも「明治天皇行在所跡」の標柱があった。
 柳ケ瀬集落から国道365号を少し歩きすぐに旧道に入る。小谷、今市、東野、中之郷と行き、下余呉の旧道脇に
 「北国街道」の比較的新しい道標が立つ。

  
  木之本宿 一里塚   北国街道 道標             本陣 跡           木之本宿南 追分 
                                                    右 京・いせ道 左 江戸・なごや道

 国道から再び旧道に入り北陸自動車道をくぐると木之本宿に入る。「一里塚」、「庄屋跡」や薬の看板が吊り下げら
 れた「本陣跡」など古い建物や宿場町の面影が残る町並みが続く。土曜日のためか、やたら観光客が多い。
 宿場の南には北国街道と北国脇往還の分岐点があり道標がある。道を左にとって北国脇往還(国道365号)へ。
 柏原で道を斜め右にとり高月へ向かう。 15:00 高月に着く。


             表紙へ    目次へ   頁TOPへ    第12回へ   第14回へ