第12回   2004年 12月13日から12月15日(第59日〜61日目)
            
           丸岡 から 永平寺-松岡 - 福井 - 武生 - 湯尾峠 - 南今庄

 
            第1日 丸岡 〜 永平寺 〜 松岡      第2日 松岡 〜 福井 〜 武生
            第3日 武生 〜 湯尾峠 〜 南今庄 
           
 
                                              

 おくの細道     -----  ★天龍寺 
第1日 2004年 12月13日(月)
            丸岡 -----  永平寺 =バス= 永平寺口  ---  松岡(★福井)
  
     霞ケ城(丸岡城)天守閣

      
      福井大地震震源地碑
 
 どんよりとした雲間からときおり陽のさすなか、JR丸岡駅を
 出て丸岡の市街地に向かう。
 駅前から県道108号線に入り、今にも降りだしそうな雲行き
 を気にしながら国道8号線を越えるとすぐに丸岡城に着く。
 日本最古と言われる天守閣を見学する。雨になる。
 降り出した雨のなか永平寺を目指す。雨はすぐ止む。
 県道17号を横切り「北陸自道車道」をくぐった先の田んぼの
 畦に、昭和58年6月に起きた「福井大地震 震源地」の碑が
 建っている。ここから県道17号線と並ぶように続く何もない
 ローカル道をただひたすら歩く。
 しばらく行くと松岡への県道110号分岐がある。
 芭蕉たちは先に松岡(天龍寺)に行き、そのあと永平寺を
 訪れているが、多分この道をとったのではないだろうか。
 平成の芭蕉は行程の都合上そのまま直進し永平寺へ行く。
      
  荒谷の道に残る踏切跡と廃線路       永平寺 門前                 唐門

 国道364号の鳴鹿橋で九頭竜川を渡り、東古市の交差点を横切って「えちぜん鉄道の」踏切を過ぎると永平寺
 への登りになる。 
 京善、市野々と過ぎて荒谷の永平寺川にかかる荒谷橋の手前に、かっての京福電鉄の踏切跡があり、わづかな
 線路の端と線路のなくなった廃線跡が残る。廃線跡は昔の永平寺駅跡(今はバスの待合所)まで続いている。
 荒谷からの道を登りきると永平寺の門前町である。
 以前にも2度ほど訪れているが(当然車で来ている)、まさかここも平泉と同様に歩いて来るとは思わなかった。
 時間もあまりなく急いで拝観する。すでに所々に雪囲いがされており、ここでも冬の準備が始まっているようだ。 
 バスで永平寺口まで戻り松岡まで歩く。 松岡から電車で今日の宿泊地福井へ出る。

 おくの細道    天龍寺 ----- 永平寺  ---  ★福井  ---  
第2日 2004年  12月14日(火)
             松岡(天龍寺) ----- 福井 ---玉 江---朝むづの橋  ---  ★武生
     
    天龍寺 参道の翁塚 と説明板                           境内の 芭蕉句碑
 福井からえちぜん鉄道で「松岡駅」まで戻る。
 駅から国道416号を横切りすぐ左手の旧道に入り、松岡小学校を過ぎると左に「天龍寺」の門柱がある。
 参道を行くと右に「筆塚」と、「芭蕉翁」と書かれた「翁塚」、間に「芭蕉塚」の案内板が立つ。
 少し先の境内には本堂にに向かって左前に 「物書て扇引さく餘波哉(なごりかな)の大きな句碑がある。
  
       福井城址               左内公園の宿泊地跡碑と       芭蕉句碑(文字は判別しぬくい) 
 
 「天龍寺」をあとにしばらくは国道416号を行き、福井北インター近くで北陸自動車道をくぐる。
 「えちぜん鉄道勝山永平寺線」に沿って福井へ向かう。国道8号線をくぐり、えちぜん鉄道「福井口」で北陸本線の
 踏切を渡って福井市街に入る。福井城址をみて電車の走るフェニックス通りを南下し、幸橋(現在架け替え工事中)
 を渡ってすぐの信号を右折、そのまま突き当ると左内公園がある。 
 公園に建つ大きな「橋本左内像」の後ろに「芭蕉宿泊地」の記念碑と「名月の見所問ん旅寝せん」(福井での句)
 の句碑が建っている。
 県道28号から229号に入り花堂(はなんどう)辺りから右に旧道があるが地図を見ながら歩いていたら通り過ぎる。
 次の「花堂」バス停先の信号を右折し(角に福井銀行花堂支店)、最初の四つ角(旧道)を左にとると「玉江二の橋」
 がある。 奥の細道本文にある「・・・あさむづの橋を渡りて玉江の葦は穂に出でにけり。・・・」の玉江である。

      
       玉江二の橋                                         玉江跡 説明板     
         
      あさむつ橋                    西行の歌と芭蕉の句       橋の説明板
 そのまま4キロほど南下すると朝六川に突き当る。道を左へとると県道32号線の変則交差点があり、斜め右前に
 朝六川に架かる「朝六つ橋」がある。
 橋の左袂には 西行法師の歌「越しに来て冨士とやいはん角原の 文殊がだけの雪のあけぼの」 と
              芭蕉の句「朝六つや月見の旅の明けはなれ」 を刻んだ碑があり、
 右袂には「あさむつ橋」の案内碑が建っている。 
 旧道はそのまま続き、鯖江からは「歴史の道」となって武生に延びる。武生に入って「歴史の道」から県道212号を
 行く。日野川を万代歩道橋で渡ると武生駅はすぐだ。夕日が落ちるなか駅前のホテルに向かう。 
 
 
奥の細道    ----- 玉江 -- 朝むづの橋 --- 湯尾峠  -----   
                                             
第3日 2004年  12月15日(水)
            武生 ----- 鶯の関跡 ----- 湯尾峠 ----- 南今庄      第12回是迄
       
    国兼町の「往還一里塚跡」石標        関ケ鼻集落口の「鶯の関跡」の石碑       湯尾集落で     
 朝 7:45にホテルを出る。気温4.4℃と少し寒い。日野川に沿って行き日野大橋から国道365号線を少し歩く。
 武生大橋の高架をくぐってすぐに右の旧道に入る。
 王子保を過ぎ国兼町の大塩八幡宮参道入口手前に「往還一里塚跡」の標柱が建つ。
 脇本から西大道に入ると南条駅に着く。駅を過ぎて少し行った関ケ鼻集落口に「鶯の関跡」の石碑がある。
 奥の細道本文にある 「鶯の関を過ぎて、湯尾(ゆのお)峠を越えれば---」のとおり、芭蕉はこの関を越えて湯尾峠
 に向かった。 北陸自動車道をくぐり今庄インターチェンジの先で湯尾峠への旧道に入る。
 湯尾集落に入っていきなり「クマ注意」の看板をみる。いたるところに看板は付けられているがここは迂回できない。
     
    明治天皇湯尾御小休所 碑       湯尾峠 入口             峠 の芭蕉句碑

 集落の一番奥の民家の庭先に「明治天皇湯尾御小休所」の碑が建つ。”ここで駕籠に乗りかえられ峠を越えた”と
 この家の年老いたお婆さんがいろいろと説明してくれる。クマのことなど一言もない。礼を言って峠に向かう。
 太陽が低いためか湯尾側の登りは道も濡れて暗い。急な坂を一気に登る。10分弱で峠に着く。
 峠には小さな神社や平成二年に建てられた新しい芭蕉句碑「月に名を包み兼ねてやいもの神」[参考文献には
 湯尾峠の疱瘡(ほうそう)(天然痘-「いも」とも)の神も・・・・・] との解説があるから湯尾峠に関連した句であろう.。
 またここにも「明治天皇湯尾峠御小休所跡」の碑などがあり結構賑やかだ。
  
    
  今庄への下り道      旧道の一里塚跡標柱    今庄本陣跡の        宿出口の「文政の道しるべ」
                                明治天皇今庄行在所 碑       右京 つるが わかさ 道
                                                      左京 いせ 江戸 道
 
 少し休んで今庄に下りる。湯尾側と違って今庄側は陽があたり明るい。踏まれていない厚く積もった落ち葉の道を
 気持ち良く下りる。結構長い急坂を下りきると砂利の地道が続き、途中「一里塚跡」の標柱が立つ。
 しばらくで北陸本線と並行すると間もなく「今庄宿」に入る。「高札場跡」や「問屋跡」などの古いたたずまいなども残
 って、いかにも宿場町らしい雰囲気のある町並みが続く。周囲を山に囲まれた小さな村だけに手付かずに残されて
 いるのだろうか?。 宿場の中心部にあたる本陣跡には「明治天皇今庄行在所」の石碑が建っている。
 宿場を抜けた先の今庄宿口に「文政の道しるべ」がある。左 木之本への「北国街道」と、右 若狭への「北陸道」の
 追分である。旧道から県道207号に出るとJR南今庄駅はすぐだ。 今年の歩きはここまでとする。
  木の芽峠を越えるのは、雪が解けて木々が芽吹く頃だ。
  


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