第10回   2004年 11月 8日から11日(第51日〜54日目)
            糸魚川 から 入善 - 岩瀬浜(富山) - 石動(いするぎ) - 津幡 
 
        第1日 糸魚川 〜 親不知--市振 〜入善    第2日 入善 〜 滑川 〜 岩瀬浜(富山)
        第3日 富山 〜 新湊 〜 高岡 〜 石動    第4日 石動 〜 倶利伽羅峠 〜 津幡
           
 
                                              

 おくの細道   ----- 糸魚川  --- 親不知 --- ★市振  ---    
第1日 2004年 11月 8日(月)
            糸魚川 -----  親不知 --- 市振 -----  入善 (★魚津) 
        
  駒返しトンネル出口      親不知駅から
 
 朝7時30分快晴のなか糸魚川のホテルを出る。青海駅まではおよそ1時間、駅の裏側から廻り込んで国道8号線に
 出る。しばらく行くと「勝山城址登山道」の標柱と案内板がある。上杉謙信の子「景勝」の居城だそうだ。
 すぐに8号線は向山洞門に入る。黒くすすけた壁にへばりつくようにカーブの続く道を進む。時にはやたら多い大型トラ
 ックをやり過ごしながらの歩きだ。初めは慎重に歩いていたが次第に恐怖感に襲われ、自然に歩くテンポが速くなって
 いくのがわかる。 40分弱の洞門歩きで最後の「駒返しトンネル」を抜けると左に旧道があり「親不知駅」に出る。
  ここからしばらくは 海上に造られた北陸自動車道, 国道8号線をみながら北陸本線が並行するわずかな区間を行く。 
  
 
 親不知の断崖      海岸       コミュニティロード

  矢如砥如     説明板      全面通行止に
 
 北陸道「親不知IC」を過ぎて再び洞門に入る。抜けると天険断崖が見渡せる展望台があり、すぐ上に「親不知観光ホ
 テル」が見える。ホテルの脇から海岸に下りると、左右を断崖に囲まれた小さな波打ち際に出る。岩に砕ける波しぶき
 をみながら、こんな所を歩いた昔の旅人の胸中を思う。 戻ってホテルの横からコミュニティロードを行く、綺麗に整備
 された道である。入口近くに「矢如砥如(とのごとくやのごとし)」と刻まれた岩があり説明板がある。”矢のように速く通
 れるか?”と納得しながら先をみると、なんとこの道は「全面通行止」だ。焦った。
 ここが通れないとトンネルを歩くしかない。しかしトンネルの入口に立ってみたが思わず後ずさりしてしまった。
 歩ける幅がないと思うほど暗くて狭い。このトンネルだけはとても歩けそうにない。通行止めの事情を聞くにもホテルは
 休みで、おばあさんが「わたしにはわからん」と言う。悩んだ揚句、やはり通行止のコミュニティロードを行くことにする。
 念のため観光協会に電話をし様子を聞くと、先の「中越地震」で一部崩落個所があるから用心してヘリを歩けとのこと。
 柵を乗り越え歩いて行くと崩落個所はなく、2ケ所ほど海岸側に亀裂が入って段差ができている程度だ。
 落ち葉と折れた枝で荒れた道を慎重に歩いて抜け、ようやくトンネル西側に出る。
 ホットしたのも束の間で再び国道8号線の洞門に入る。ここから市振まではゆるい下りだがカーブが多く、やはり大型
 トラックのやり過ごしに神経を使う。30分ほどで最後の「三段滝洞門」を抜けると小広場の休憩所があり、正面にみえ
 る「市振港入口まで250メートル」の看板に正直安堵する。
 3時間弱を要した国道8号線の洞門歩きは、まさしく現在の難所、親不知・子不知である。

     
 市振入口からの国道8号洞門   市振宿海道の松          芭蕉句碑           桔梗屋跡    市振関跡

 国道8号から右に旧道を下るとすぐに2本の「海道の松」が見える。
 昔の旅人も「親不知・子知不」の難所を抜けてこの松をみてホッとしたそうだが実感する。松をみながら少し行くと「弘
 法の井戸」がありその斜め前の細い路地で国道を潜ると「長円寺」がある。
 階段を登って左手、国道を背に 句碑「一つ家に遊女も寝たり萩と月」がある。
 戻って郵便局近くに芭蕉らが泊まったという「桔梗屋」跡があり、小学校の道沿いに「市振の関跡」の標柱が立つ。

    
  富山県境             境の一里塚   境関所跡     芭蕉句碑(朝日町元屋敷)       入善で   

 市振の集落を抜けて国道8号に出る。10分ほどの道の駅「越後市振の関」で昼食をとる。現在の難所、国道の洞門
 歩きで少しこたえたかアキレス腱が痛む。 道の駅から数分で境川を越えると芭蕉が市振で間違えた「越中の国」、
 富山県に入る。旧道に折れるすぐ右に「境の一里塚」、しばらくで「境関所跡」がある。
 境集落から「朝日ヒスイ海岸キャンプ場」なる立派な施設の続く道を「越中宮崎」駅の先で海沿いの県道60号線に入る。
 再び北陸線に並行すると 「第6 北陸街道 踏切 D 」とかかれた踏切を渡り旧道へ。
 すぐ左手の道沿いに「芭蕉句碑 わせの香や--- 」の標柱が立つ。 標柱の斜め左後ろ、松の木々に隠れて見えない
 が大きな石の句碑がある。ちょうどいらした家主さんの話では昔は木がなくて道からよく見えたそうだが、今は手入れも
 せず荒れていて申し訳ないと謝られる。(ちなみにここは個人の庭です)。
 ここから旧道で再び8号線、北陸本線を渡り、泊駅への道を左にみて直進、県道60号に出て入善に向う。
 足に少し負担がかかりペースが落ちているのがわかる。16:00入善手前で早くも日が落ち始めた。
  
 おくの細道    ------  黒部  -----  ★滑川  ----- 
第2日 2004年  11月  9日(火)
             入善 --- 魚津 --- 滑川 ---  岩瀬浜 (★富山)
   
    高瀬の湧水                湧水公苑
 
  下黒部橋      黒部川河口   黒部名水公園

 7:30 入善駅を出発。参考本の行程図によると芭蕉と曾良は入善から魚津まで、現在の国道8号線(北陸道)を通っ
 ている。 何もない国道を行くより少しは見所のありそうな海岸線を行くことにする。
  駅から線路沿いに行き県道2号(魚津 生地入善線)に出る。途中の高瀬地区(飯野)に「高瀬ゆうすいの庭」なるもの
 があり、その少し先には立派な湧水公苑が造られている。公苑から少しで黒部川を渡ると黒部市に入る。
 生地漁港の近くにも「黒部名水公園」があり、涌き出る水が実に新鮮だ。 この辺りは黒部川に近く黒部の扇状地で
 北アルプスの山から流れ出る名水の地(名水100選・黒部川扇状地湧水群)だそうである。
  
   
   富山黒部自転車道と案内板         大岩道道標と説明板         常願寺川   浜黒崎の自転車道

 石田を過ぎて片貝川を渡ると魚津市に入る。1キロほどで右に折れすぐ左に曲がると「富山黒部自転車道案内板」が
 建つ小公園があり、通称「しんきろうロード」なる自転車道が、魚津・滑川の市街を通って富山まで続いているようだ。
 海岸線に造られたこの道を行くがすぐに道は魚津市街へと入っていく。県道2号線はそのまま海岸線を進み本町で
 県道1号(富山魚津線)になる。 「魚津水族館」を左に見て早月川を渡ると滑川市である。
 朝から右足のアキレス腱に痛みがあったがどうやらかなりすすんできたようだ。様子をみながらペースダウンする。
 「ほたるいかミュージアム」の「道の駅」で休憩し足を休める。この施設は今日は休館日で、そのためか「道の駅」も休
 みのようで人が少ない。少し休んで出発する。
 痛む足をかばいながらゆっくりと行くが、このペースだと予定よりかなり遅れそうだ。途中の高島町に「大岩道」とかか
 れた道標がある。立山・大岩への信仰登山者のための「道しるべ」だそうだ。
 滑川市を抜けて常願寺川を渡る。ちょうど16:00。今日もすでに日が落ち始める。川を渡ると再び「富山朝日自転車
 道」が現れる。 自転車道は浜黒崎の海岸寄りをいくが、もうそちらに曲がる気力もなく、ただひたすらまっすぐ行く。
 日方江(ひかたえ)、海岸通と進み 17:10、ようやく岩瀬浜駅に着く。
 この先は神通川の河口で富山湾に突き当たる。橋は千原崎まで南下し、大きく迂回して川を渡ることになる。
 芭蕉たちは川や海を渡り、海岸線を「奈呉の浦(新湊)」まで行き伏木に出ている。 私は電車で富山駅前のホテルに
 むかう。今日は霞みがかかり、楽しみにしていた立山連峰の雄姿を一度も見ることできなかった。

 奥の細道    -----   奈呉の浦 -----  伏木 -----  ★高岡  -----  
第3日 2004年  11月 10日(水)
             富山 == 富山新港東口〜〜越の潟  --- 高岡  ---  石動(★高岡)            
 
 渡船「こしのかた」   放生津八幡宮      奈呉之浦石標
    句碑と説明板            庄川の新庄川橋
 
 富山駅前7:40発のバスで富山新港東口に向う。東口と対岸の「越の潟」に県営の渡船場があり無料で渡してくれる。
 5分の船旅である。「越の潟」で下船、放生津八幡宮に向う。「海王丸パーク」を右に見てゆっくりと行く。
 今日も足をかばいながらの歩きになりそうだ。八幡宮の本殿右手に 芭蕉句碑「早稲の香や分入右は有磯海」
 裏手に回ると松の下に「奈呉之浦」の標柱が立っている。八幡宮を後にしばらく行き途中で国道415号に出る。
 荘川を渡ると少しで小矢部川に突き当たる。川向こうは伏木漁港である。 対岸の伏木まで渡船があるようだが、
 伏木には出ずそのまま国道を行き、能町から米島で県道24号を高岡に向う。
 高岡市街を抜け南町で道を右に取り、国道8号線手前で旧道に取り付く。足の痛みが激しく、
 ちょうど見かけた薬局で湿布薬を買って貼る。 少しは落ちつくが休み休みの歩きだ。
 
     
   立野の往還の松と尊徳像      福岡町往還の松跡と説明板    勅使桜          芹川一里塚
 
 国道8号線と付かず離れずの旧道をゆっくりと行く。昼時だが食事処などなくコンビニもない。国道に出れば何か有り
  そうだが我慢して進む。国道と交差する手前の立野公民館前に「往還の松」と「二宮尊徳像」があり説明板が立つ。
 久しぶりにみる尊徳像だ。すぐ先にある8号線寺町交差点角のコンビニでおにぎりを買い遅い昼食をとる。
 福岡町に入ると、旧北陸道「往還の松跡」や「勅使桜」などが道筋に残り、いかにも旧道らしい趣のある道が続く。
 小矢部市芹川には「芹川一里塚跡」の立派な石柱ががあり、案内板の前で猫が2匹こちらの様子をみていた。
 小矢部川を小矢部橋で渡ると石動(いするぎ)駅はすぐである。 JRで今日の宿泊地高岡まで戻る。
 奥の細道    -----   石動  -----  倶利伽羅峠 -----  ★金沢  
第4日 2004年  11月 11日(木)
             石動  ---  倶利伽羅峠   ---  津幡                      第10回是迄   
   
   護国八幡宮鳥居      鳥居を背に直進   いにしえの道      峠入口 始めは木の階段から砂利道に
 
 石動駅前から少しの先の信号で踏切を渡る。線路沿いの道を行き県道42号に出るとすぐに「歴史国道」の指示標で
 右へ曲がる。埴生加宿通りを突き当たると右に「護国八幡宮」がある。103段の階段を上り詰めると本殿がある。
 今は修理のためか板囲いされている。 参拝して戻る。
 倶利伽羅峠へは石段を下りて直進、医王院をみたら「くりから越えいにしえの道」の標柱が立つ道へ。石坂の集落を
 抜けると峠の入口。案内板があり「スズメバチに注意」の看板が立つ。
 突然地元の人に”熊よけの鈴は持っているか?”と声を掛けられる。”ラジオを持っている”と答えると”奥に行くと危な
  いから注意していくように” とのこと。礼を言って峠に向う。(実はこの熊の話には後がある)。
 綺麗に整備された道には随所に歌碑が建てられており、とても峠道とは思えない。途中「たるみの茶屋」、「峠茶屋」、
 「矢立堂」,「搭の橋」などの標柱を見ながら急な「砂坂」を登りきると「猿ケ馬場」に着く。 
  
   
   矢立堂            猿ケ馬場                     寝覚塚と案内板        旧道入口看板
 
 整備された公園には桜やブナの木が多く思ったより明るい。「猿ケ馬場」中央には「源平倶利伽羅合戦 本陣跡」や
   「源平古戦場猿ケ馬場」の石柱が建つ。 芭蕉句碑「寝覚塚」は峠道の左、桜の木の下にある。
 碑面は判読できないが「義仲の寝覚めの山か月かなし」だ。 
 猿ケ馬場を後に天田峠への道を分けると石川県・加賀の国である。右手に「倶利伽羅不動」をみて急な車道を下る。
 10分ほどで山森の集落を抜けると左に旧北陸道遊歩道がある。「熊注意」の看板が立つ。
 ここで傍の家の老人に呼び止められる。”どちらへ行く”と言うので”旧道を下りる”と言うと、いきなり”ダメだ!危ない
 熊が出るぞ!ましてや一人では絶対にいかん、まっすぐ8号線に行け”とすごい剣幕で言われる。
 無視して行こうかと思ったが老人はじっとこちらをみている。何事もないとは思うが、思案数分、ここは古老の言うとうり
 にするしかなさそうだとやむなく坂戸に迂回することにする。急なコンクリートの道を坂戸に下り、刈安で国道8号線に
 出る。急坂を下りたためか足の痛みがひどくなってきた。1キロほどで旧道の竹橋宿出口(加賀側の入口)である。
 傍らの立派な施設「倶利伽羅塾」に併設されている「道の駅」で休む。事務所の人にいきさつを話すと、やはり昨今の
 熊騒動で地元の人はかなり神経質になっているとのことだ。
 しばらく休んだ後出発するが、アキレス腱が腫れて痛みがひどくどうやら限界のようだ。今日は金沢まで行く予定だっ
 たがとても歩けそうもなく、急遽「津幡」で中止することにする。 
 
 JR津幡駅から金沢駅まで出て帰途につく。
 


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