ぶらり旅 2005年9月15日 佐屋街道
熱田「宮の渡し」から東海道は海上七里を下りを桑名に行くが、船酔いを嫌った徳川3代将軍家光のために、 初代尾張藩主徳川義直が津島街道に手を加え、佐屋に至る6里の(約24キロ)の佐屋街道を整備した。 その後東海道の脇往還として賑わい、多くの人々がこの道を通行することになる。 名古屋の東海道を歩いた身にはやはり見過ごすわけにはいかず、ついでに桑名まで歩くことにする。 熱田宮宿の「東海道道標」から北にとり国道19号線を北上する。左に熱田神宮公園をみながら西高蔵を過ぎて、 NTTの先に国道に面して「熱田神宮第一神門址」の標柱がある。西側の細い道を入ると妙安寺がある。 境内にはいくつかの碑があり、なかに芭蕉の句碑が建つ。時雨塚 「此うみに草鞋すてん笠しぐれ 芭蕉翁」 ともう一基 鴨塚 「海くれて鴨のこえほのかに白し」だそうだが鴨塚は確認できず。先を急ぐ。 戻って少し先の金山新橋南交差点の角に道標がある。「南 左さや海道つしま道」とあり、木曽美濃路と さや海道の追分である。道を左にとって佐屋街道に入る。 |
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熱田神宮第一神門址標柱 妙安寺の芭蕉時雨塚 さや海道道標 |
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堀川を尾頭橋で渡り尾頭橋商店街を抜け、新幹線をくぐった先の右側に唯然寺がある。山門左の通りに面した 塀のなかに「「五女子一里塚」がみえる。道には「佐屋街道 一里塚」のリーフレットが埋め込まれている。 中川区福祉会館横の佐屋街道の標柱と案内板をみて、中川運河を長良橋で渡る。環状線と交差する道をさらに 行き、烏森であおなみ線、JR、近鉄各線の高架をくぐる。長い間開かずの踏切で渋滞踏切の元凶だったが、 今は踏切はなく通行もスムーズだ。しばらく先の豊国通6丁目交差点を横断すると岩塚の宿に入る。 まっすぐ西に延びる道を行くと、左に光明寺がある。鐘楼のついた西洋風の珍しい建物である。 すぐに道は庄内川に突き当たる。 |
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五女子一里塚跡 道路のリーフレット 標柱 岩塚宿 光明寺 |
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堤防道に出て万場大橋で川を渡ると左折し少し行った右下に万場宿跡の立札と渡し跡の常夜灯がある。ここから 万場宿である。覚王院、国王神社、光円寺をみてくねくねしたみちを斜め右方向に進み名古屋高速をくぐる。 浅間神社の前の変則三叉路で真ん中の道に入り、突当りで新川を砂子橋で渡るが、砂子橋が工事中のため仮設 歩道橋で渡る。すぐに道は右に折れる。玉泉寺をみて左に曲がる角の正面に高札場跡の標柱がある。 ふたたび西に進み、東名阪道をくぐった先の道路右側に「千音寺一里塚跡」の標柱がある。ここから道は緩やかに 右にカーブしていき、小さな橋を渡った所で左に曲がり西条交差点で県道68号名古屋津島線に入る。 |
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万場宿・渡し跡 万場宿と高札場跡 千音寺一里塚跡 |
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秋竹橋を渡り七宝町に入る。七宝町役場北交差点の北西角に「Shoppoyaki Toshima七寶焼原産地 寶村ノ内 遠島」と書かれた道標がある。珍しいローマ字入りの道標である。説明板には「・・・明治時代には、七宝焼は輸出 の花形であったこと、外国人が直接買いつけに来ていたことなどから、このようなローマ字の道標が建てられたと いえる 」と書かれている。安松、下田と進み津島市に入る。西尾張中央道を越えた右前方に「神守一里塚」が みえる。 五女子、岩塚(現存しない)、千音寺、津島(現存しない)各一里塚のうち佐屋街道に残された唯一の 一里塚である。この先から神守宿に入る。神守町下町交差点を右にとり、突当りの「神守の宿場跡」標柱をみて 左折する。 再び県道と合流し日光川を渡るが、日光橋も工事中でここも仮設歩道橋で迂回する。 |
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七寶焼原産地 道標 神守一里塚 神守の宿場跡標柱 |
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吉川町辺りからやや南に向きを変えながら進む。ヨシズヤを過ぎ津島市役所の前辺りで細い道を左に曲がり、 すぐ右に一本南の筋に入ると埋田の追分である。1本の道標が建っている。「左 さやみち 右 つしま天王みち」 とある。すぐ前には2基の常夜灯、津島神社一ノ鳥居跡碑と上半分が折れた?鳥居がある。 佐屋路はここから左に折れて南に向うが今はなくなっている。この先にも寸断、消滅している箇所がある。 少し先を左折し南に下る。市民病院を過ぎ愛宕町4丁目の先で愛宕神社の裏に回り込み斜めに行き県道に出る。 西愛宕町の交差点を右に見て直進し細い通りを抜け再び県道に出ると右斜めの道に入る。佐屋北保育園をみて 突当りを右に曲がる。 |
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埋田の道標 津島神社一ノ鳥居跡碑 常夜灯と 石の鳥居跡 |
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名鉄尾西線の踏切を越えて内佐屋の四つ角を左に曲がる。すぐ先の道の傍らに「佐屋海道址」の碑が建つ。 1キロほど南下して須依の交差点を右に行くと佐屋宿の中心部に入る。左隅に建つ「くいな塚 是より南二丁」 に従い行くと「水鶏塚」がある。碑面は「水鶏鳴と人の云へばや佐屋泊 芭蕉翁」で、元禄七年五月、芭蕉が 江戸から故郷伊賀の国に帰る途中、ここ佐屋に泊まったときの吟である。 |
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佐屋海道址 碑 くいな塚 道標 芭蕉 水鶏塚 さや舟場道 道標 |
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戻って先に行くと「さや舟場道」の道標がある。 道を挟んで北側には「佐屋代官所址」の碑が建つ 小広場があり、立派な説明文の刻まれた石碑が 横に建てられている。西に道を渡った小公園の 南東の隅に「佐屋三里之渡趾」の碑が建っている。 佐屋街道の最終地である。 桑名へはここから川を三里下る。 |
佐屋代官所址 佐屋三里之渡趾 碑 |
番外編 佐屋から桑名 | |
ふたつやの渡し碑 むかし東海道の木標 |
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木曾川を尾張大橋で渡るとすぐ右に「東海道」と刻まれた大きな石標が建つ。明治26年に建てられたもので 別面に「明治二十五年四月一日 為国道」とある。国道を少し歩き押付の交差点手前で右に入る。 道を二つ越え商工会館の先で左折、すぐ右折してまっすぐ行き川の手前を左折すると大手橋に出る。 傍らの民家の壁際に指標の道標があり「宮 名古屋 前ケ須津島道」と刻まれている。 大手橋を渡ってまっすぐ道なりに進み、突当りで右に曲がって200mほど行くと大智院がある。 山門の左手前に「蕉翁信宿処」の碑が建ち、境内に「うきわれをさびしがらせよ秋の寺」の句碑がある。 「奥の細道」を終えて伊勢に向かう途中、ここに逗留したときの挨拶句である。 |
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東海道道標 大手橋前の道標 大智院 蕉翁信宿処碑 句碑 |
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道を戻り左に長良川河口堰をみて揖斐・長良川を 伊勢大橋で渡り左折する。 長い堤防道を行き、住吉神社の先を左にとると 桑名「七里の渡し跡」である。 |
桑名七里の渡し跡 |
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