ぶらり旅  2006年 1月28日 東海道 岡崎から有松

 
 昨日、苦杯をなめた岡崎二十七曲。今日は詳細地図を手に歩き直すため再度「岡崎二十七曲碑」まで戻る。
 10:45今日も遅いスタートになる。二十七曲への入口を探して案内板から旧道を右にとる。
 昨日間違えたおかげで今日はすんなり見つかる。道を二本北に行った角に「岡崎城東入口」の標柱がある。
 ここから道は右左折を繰返し町の中心部を抜けていく。要所要所に角を表す標柱があるから注意していれば自然に
 道をたどって行ける。広い伝馬通りには宿場ゆかりの人や動物の小さな石の彫刻がある。
 最後の角で道を失ったが、何とか板屋町で「岡崎城下西出入口」の標柱をみて松葉通りに入る。愛知環状鉄道を
 越えると右に八丁味噌の蔵がある。突き当たりに新しい道標が建つ。右に八帖往還通りを行き矢作橋を越える。
 
 
   
   東入口標柱      角に立つ標柱      石の彫刻      西の出入口標柱        矢作川
 矢作川を越えると旧道は一号線と離れ右斜めに入る。すぐに勝蓮寺、少し行くと誓願寺がある。
 旧道は猫田交差点で国道と合流し宇頭町に入る。しばらく味気ない国道を歩き、尾崎東(手引書では柿崎交差点)
 のY字路で右に国道を離れる。すぐに松並木がの旧道が西北に延びる。しばらくは松並木を見ながらの長い旧道
 歩きを楽しむことができる。その前に傍の「横綱ラーメン」で少し早い昼食兼休憩をとる。
 松並木の旧道を行くと熊野神社がある。予科練の碑、一里塚跡の標柱、鎌倉街道の標識などがあり、少し先には
 「三河路に昔を偲ぶ夫婦松」の看板がある二本の松(夫婦松?)がある。
       
    尾崎町の松並木       熊野神社の 一里塚跡碑 鎌倉街道跡標識       夫婦松

 宇津茶屋町から浜屋町に入ると「永安寺」がある。庭に樹齢三百年といわれる雲竜の松がある。
 さらに松並木を過ぎて猿渡川を渡ると来迎町。来迎町交差点角に元禄9年の道標が建つ。
 右に500mほど入ると無量寿寺だ。芭蕉句碑を見るため寄り道をする。境内左手前に芭蕉連句碑がある。
 
 「かきつばた我に発句のおもいあり 芭蕉  麦穂なみよる潤ひの里 知足」。貞享2年(1685)の作である。
 
 ここには三河蕉風の井村祖風の墓がある(知立神社には句碑がある)。

       
     松並木が続く        元禄の道標              無量寿寺と芭蕉連句碑    
 
 旧道に戻るとすぐに来迎寺一里塚がある。さらに西に行くと並木八丁といわれる松並木が続く。尾崎町から続くこの
 松並木は見事なものだ。国道を斜めに横切り一番左の細い道に入る。国道をくぐって出た傍に「東海道 池鯉鮒宿」
 の新しい標柱が建っている。旧道は知立駅の北側で細かく折れるが道を外して直進してしまった。
 途中の知立神社にある芭蕉句碑を見るため立ち寄る。芭蕉句碑は神社と菖蒲園の間にある休憩所前にある。
 句は「不断堂川(ふだんたつ)池鯉鮒の宿農木綿市 芭蕉翁」。説明には元禄5年(1692)秋、江戸深川で詠まれ
 た句とあるが、芭蕉全句、句集には見当たらない。これも?。まあよくあることだ。

    
   来迎寺一里塚       牛田の松並木      標柱             知立神社と芭蕉句碑
 
 今日の目的は済んだが。さてどうするか。時間は15:25。
 名鉄知立駅まで戻るには1キロ弱。この先の有松(名古屋の東海道出発点)まで約10キロだ。
 思案の末、吉田(豊橋)から芭蕉句碑を巡った東海道をつなぐため有松までの残りを歩くことにする。
 逢妻町から国道1号との交互を繰り返しながら一里山、今岡、今川町と行く。
 今岡には「旧芋川の地 ひもかわうどん発祥の地」の木の標柱がある。
 今川町で境橋(尾張・三河の境)を渡ると尾張の国。豊明に入り、「阿野の一里塚」をみて、前後から中京競馬場前
 と行き、「桶狭間古戦場跡」をみると有松はすぐだ。1号線を横断して斜め右に入ると有松宿に入る。
 
 すぐに名古屋の東海道で歩いた出発点に合流する。17:10。

    
 旧芋川の地・木柱      境橋           阿野一里塚  左右対で残る         桶狭間古戦場跡
  



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