ぶらり旅  2005年9月11日 名古屋の東海道

 貞享元年(1684年)芭蕉が「野ざらし紀行」の旅の途中に名古屋俳人と巻いた歌仙が「冬の日」である。
 大津めぐりから思いついて鳴海から名古屋を歩いてみた。ともに芭蕉ゆかりの地である。
 有松駅から東に少し行き旧東海道に出る。「ありまつ」と書かれた絞りの暖簾がかかり、昔日の面影が残る有松の
 町並みをしばしゆく。 
    
   東海道道標               古い建物が残る有松の町並み     
 鳴海町に入る交差点角に「平部町常夜灯」が建つ。かっての鳴海宿の東の入口と立札にある。途中左に小さな
 橋をみて右に少し坂をあがると誓願寺がある。前に「芭蕉最古の供養塔」と書かれた立札があり、境内の左手
 芭蕉堂の傍に、青色の自然石に「芭蕉翁」と書かれた石碑が建っている。大きく右に曲がる道をしばらく行くと
 丹下の交差点左にも常夜灯がある。立札には鳴海宿西の入口になる「丹下町常夜灯」とある。
   
   平部町常夜灯               誓願寺 芭蕉供養塔               丹下町常夜灯        
 丹下を過ぎて道が第二環状線と交差する少し手前に千鳥塚への案内標識がある。右に細い旧坂を登っていくと
 千句塚公園があり、公園の右奥の隅に芭蕉最古の句碑とといわれる「千鳥塚」が大きな木の前にあった。
 説明版にあるとうり芭蕉存命中に建てられた唯一の翁塚である。
 
 旧東海道は第二環状を交差し天白川を天白橋で渡り笠寺に向う。途中道が分かれる真ん中に笠寺一里塚が
 残っている。先に進むと笠寺西門前に出る。笠寺観音には芭蕉句碑が2基ある。ひとつは仁王門を入った本堂の
 右手、なぜか「宮本武蔵之碑」の横に新しい千鳥塚の石標とともに建つ。かっては本堂裏の墓所のなかにあったも
 のを移したそうである。句は「星崎の闇をみよとや啼千鳥」、いまひとつは多宝塔の横奥いくつかの碑が建つ
 片隅に新しい春雨塚の石標とともにある。句は「笠寺やもらぬ岩屋も春の雨」とある。「岩屋」は全句集には「崖」、
 異形句には「窟」とある。
  
     笠寺一里塚             笠寺観音                   芭蕉句碑   
 笠寺商店街を抜け環状線を横断し、本笠寺で名鉄名古屋本線の踏切を越えて右に北進し呼続に入る。ここから
 山崎川までは「宿駅制度制定四百年記念」で、呼続学区により整備されたきれいな旧道が続き歩くのも楽しい。
 山崎川を山崎橋で渡り左折し、ブラザー工場の南で国道1号線に入る。高架の下の中央部分は旧松田橋が残る
 八丁畷公園になっている。少し先で1号線は高架になるが旧道は左の側道を行く。
 JR東海道本線の踏切を渡り、新堀川を熱田橋で渡る。名鉄常滑線をくぐると「水と緑と歴史のまち 宮地区」の
 案内板がある。ここから整備された東海道を行く。姥堂と裁断橋跡をみてすぐ道は大津通りで分断される。伝馬町
 の交差点で迂回し旧道に戻るとすぐに三叉路に突き当たる。
   
 呼続 宿駅制度制定四百年記念碑      宮地区案内版                 姥堂と裁断橋
 左角に「東海道道標」がある。佐屋美濃路の追分である。
 道を左にとり国道247号線を宮の渡し高架橋で渡り、直進すると「宮の渡し公園」、「七里の渡し跡」である。
  
     東海道 道標                          七里の渡し跡
    
     熱田神宮             蕉風発祥の地 碑
 このあと熱田神宮に参拝し、
 久屋大通り公園のテレビ塔下にある
 「蕉風発祥の地」に行く。
 「冬の日」の句会が開かれた野水邸
 宅跡である。
 ちなみに名古屋の連衆と芭蕉を結び
 つけた林桐葉邸宅跡は熱田神宮の
 「蓬莱軒」神宮店横にある。
 


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