ぶらり旅  2006年 1月 15日 伊勢街道 完結 松阪から伊勢内宮

 
 伊勢街道 最終行程松阪から伊勢を歩く。
 8:15 松阪の和歌山街道追分から再開する。
0115isekaidoise001
道標をみて道を左折し、しばらく市街を東南に進む。国道42号線んを渡り、しばらく行くと
なにやら赤い指示標のステッカーがいたるところにある。「熱田・伊勢初詣W(たぶんウオ
ーキング)」の文字。いやな予感がする。0115isekaidoise003何かイベントがありそうだ。
市街地から街道らしき道に入る。名古須川を越えると閻魔堂と信楽寺があり、
門前に珍しい仏足石がある。
ここから何もない道を淡々と行く。ところどころに古い家並がみられる。

 8:50 JR徳和駅を通過。上川町に入る。下村の常夜灯をみてさらに行くと
      「従是外宮四里」と刻まれた道標がある。9:10通過。

 
   閻魔堂と信楽寺     信楽寺の仏足石     黒壁の家      下村の常夜灯    外宮への道標

 
 櫛田の先、工事中の広い道の手前でドタドタと音がしたら、数人のハイカーに追い抜かれる。
 これだ!いやな予感は?。「県、市、名前、歩く目的?」の書かれたゼッケン?がリュックの背に踊る。
 なんじゃこれは!。この後も次々と凄い勢いで追い越される。何を急ぐのか信号無視も。抜かれるのはいいけれど、
 信号無視はいかんよおっさん!。主催者はもう少しマナーを教えろ!と言いたい。0115isekaidoise015
 くそ!。(このことばはいけませんね)。しかし、凄い速さだ。爺も早いと思っていたがこりゃ
 比じゃないや。途中のチェクポイントの人に聞くと、全国ウオーキング協会のイベントで、
 1月12日〜15日で行われている「熱田・伊勢 初詣ウオーキング125キロ」だそうだ。
 北海道から九州まで全国から参加しているという。ならもっとマナーを守れよ!。
 あれから40年の中高年!!。爺もそうか?。多難だなあと思いながら一緒に行くしかない
 とあきらめマイペースを守る。
 工事中の道を横断し、道はS字にカーブして櫛田川の堤防に突き当たる。堤防下に「左 さんくうみち・・」と刻まれた
 道標が建つ。堤防の階段を上がり迂回路の櫛田橋を渡る。
 橋を渡るとここにも係りの人たちがいて道を案内してくれる。地図などまったく必要ない。橋から左斜めに道を行き
 早馬瀬町に入る。静かな街道(県道428号)を行くと漕代駅の手前に、「六字名号碑」なるものがある。
 正面に6文字の梵字が刻まれている。ここからすぐに祓川を渡る。先に「従是外宮三里」と刻まれた道標が建つ。
 9:55通過。

    
  堤防下の下の道標     櫛田橋を行く        六字名号碑    外宮への道標 側面に宮川・二里・・

地図のチェツクもできないまま明和町斎宮に入る。連子格子の家並みが残る道を行く。
ときおりポイントで写真を撮っている間にもどんどん人が歩いて行く。
ああ〜なんでこんな日をと思うが後悔先にたたずだ。途中、「野々宮跡・斎宮城址」と刻まれ
た小さな石碑が建つ「竹神社」をみてさらに行くと、左に有明六地蔵の案内板がある。
つられて行くと小広場に六地蔵石幢(有明六地蔵)があった。宝珠・扉部・中台・竿・基礎の
五部分が完存し、各部の均整のよく取れている点では優れたものの一つだと説明にある。
街道に戻りさらに行き上野に入る。安養禅寺の門前に明星水の看板がある。
江戸時代、参宮客に湯茶の接待をして人気を呼び、門前が大変賑ったそうだ。
    
   斎宮城跡の木標  野々宮跡・斎宮城址の石碑          有明六地蔵           安養寺明星水


 安養寺から明星に入ると「そうめん坂」と書かれた木柱がある。昔、この辺りにそうめん屋があったことから名付け
 られたとある。他にも食べ物、ぞうり、笠などを売る店があったそうだ。
 連子格子の並ぶ明星の街道を楽しみながらゆっくりと行く。他の旅人は相変わらずセッセと歩かれている。
 11:00 右に「従是外宮二里」の道標をみて通過。なんだかこの一里は長く感じられた。
 道は新茶屋を通り抜ける。右にゆるくカーブした先のT字路で右折すると、すぐに小俣の「へんばや」がある。
 (馬に乗った参宮客がここで馬を返して一休みした(返場)茶屋から名付けられた)。
 いつもはこんなに人がいないのに、なんと店の中も、前の駐車場も人でいっぱいだ!。今日は大勢の旅人で小さな
 店はごっ た返している。昆布の佃煮を1個買って早々に退散する。
 

        
    そうめん坂の木柱          明星を行く街道      外宮への道標         「へんばや」
 

 
 JA前の変則交差点を横断し、切妻、連子格子の家が並ぶ相合の旧道を行く。
外城田川を渡って小俣町の中心部へ入り、小俣小学校を見て少し行き道を左にとる。
曲がり角が「札の辻」、かって和歌山藩の高札場があった所だ。前の広場の角にコンクリ
ート壁に遮られているが「高札場跡」の標柱がある。
道はカギ型に折れて宮川の堤防へと向う。途中に「鳥羽藩本陣跡」、「高札場跡」などの
標柱があり、宮古橋の袂には「参宮人見附」の石柱が建つ。
橋を渡ると堤防に突き当たる。階段を登ると宮川の「桜の渡し跡」が小公園として整備さ
れている。堤防に道はなく、戻って堤防下の道で迂回する宮川橋を渡る。
ウオークの団体は真直ぐ度会橋に向っていった。
                
                橋の手すりには、歴史街道の小さいステッカーが張ってある。
                子供の頃に上流の度会橋からこの橋の辺りまでよく川遊びをし
                たが、今見るとなんとも恐ろしいところで遊んだものだ。
 

    
   札の辻 と 紀州藩高札場跡        鳥羽藩本陣跡     参宮人見附 石柱     桜の渡し跡    


 宮川橋を渡りきる少し手前の左下に「宮川渡場」の石柱がある。「外宮・内宮」「斎宮・松阪」への道標を兼ねる。
 橋を下りきると左の土手の上に広重の浮世絵が描かれた「桜の渡し」の説明板がある。 
 伊勢に入り、宮川のわずかな街道筋を行き「すぐ外宮江 十三町半」の道標をみると道は途切れる。
 度会橋から来る県道を浦口交差点で横断しすぐ先の県道22号(熊野街道合流点)を左折する。
 今は欄干だけの(実際には細い川がある)筋向橋を渡り?、小西万金丹薬舗をみてNTTの傍を折れると外宮の
 裏参道に出る。明治に伊勢市駅ができるまではこちらが表参道だった。街道を来ると至極当然の道筋ではないか。
 その裏参道から正宮に参拝する。帰りは表参道に出て御木本道路を少し行き、祖霊社を廻り込んで街道へ戻る。

 

     
  橋下の渡場石柱兼道標   すぐ外宮の道標      筋向橋     小西万金丹薬舗    外宮 裏参道


岡本一丁目から近鉄のガードをくぐり小田橋を渡る。橋詰公園の傍らに「すぐ御さんぐう道」
と刻まれた簀子橋道標が建つ。 ここから尾上町、古市へと街道は続く。
時間は13:00を廻る。少し遅い昼食になったが昼飯は伊勢うどんと決めていたので、
まずは尾上町のバス停すぐにある「起矢食堂」へ入る。これぞ「伊勢うどん」といった感じの
濃い口のたまり風だし汁が効く。麺はみなみ製麺の「横綱」である。

 店を出てすぐに「間の山 お杉お玉」と刻まれた標柱がある。(三味線や胡弓を弾いて旅人
 から投銭を乞うた芸人、お杉・お玉の小屋跡だそうである)。
 尾部(おべ)坂をを登りきるといよいよ古市の中心部へ入る。
 江戸の吉原、京都の島原と並ぶ日本三大遊郭(大阪の新町は?)として知られた古市は、また油屋騒動であまりに
 も有名だ。しかし昔の面影を残すのは旅館「麻吉」ぐらい。道は車ががんがん走り、とても街道の雰囲気はない。
 街道筋にも真新しい石標が建てられているが、いかにも観光のためとみえる。ないよりましだが少しでも面影を求め
 て古市を訪ねる人たちには、これではかなり肩透かしだろうとつい同情したくなる。
 旅館麻吉の前の「川崎屋」で二度目の伊勢うどんを食べる。こちらはもっちりとしたうどんに薄口醤油のようなさらっ
 としただし汁である。この辺りではこちらの方が有名なのか、調理場に出前用のオカモチがずらっと並ぶ。
 麺は自家製だ。 2種類の伊勢うどんを食べて満足し参宮街道資料館に立ち寄る。

        簀子橋道標       お杉お玉標柱     備前屋跡         旅館麻吉と玄関前に建つ道標 
   

 0115isekaidoise083
 特集 油屋騒動
 あの油屋騒動の現場はこのとうり中華料理屋になっている(ここが油屋騒動の現場だ!)。
 「お紺と斎」の比翼塚は少し手前の細い路地を右に入った「大林寺」境内。本堂の左手に
 ある。左にお紺、右に斎の墓がある。
0115isekaidoise087_10115isekaidoise088すぐ先の古市参宮街道資料館に「伊勢音頭恋寝刃」の解説板があり、台本2冊が錦絵とともに展示されている。解説に寄ると歌舞伎の筋と、事件の様子はかなりかけ離れているとある。
爺にはよく解らないがチラッとカジッタ歌舞伎の内容とは確かにちと?
違うな〜。

解説では「町の医者、孫福斎(まごふくいっき)が馴染のお紺と酒を飲んで
いたが、途中お紺が他の座敷に呼ばれて中座し、なかなか戻らないので
怒って荒れ狂い即死2名、負傷7人の九人切りの殺傷事件をこした。斎は
油屋から逃れたが、宇治浦田の藤波長官邸
(あの藤波?ちがうわな〜?)
 で自刃した。行年27歳
とある。「これが事件の52日後の7月25日、大阪の角の芝居で近松徳三作「伊勢音頭
 恋寝刃」として上演され、その後各地で大入り満員となった
(だから夏の出しものなんだ。納得)。 ただし
  「古市では地元の反感や、内容が事実とかけ離れていることから、33年後の文政12年(1829)、
   4代目坂東三郎が上演して大好評を博したと」
ある。 
                                                                ここではなんと33年間上演されなかったのだ!。

 
           伊勢音頭恋寝刃 錦絵と台本2冊 台本左「油屋内十人切り」 右「神楽場の段」 ともに
                大正拾壱年九月一日の日付がある 

 
 再び街道に戻る。資料館の少し先に「月よみの宮さんけい道」と刻まれた道標がある。その先道は牛谷坂を下る。
 結構きつい坂の途中に2基の両宮常夜灯が建つ。信号から道は車の大渋滞だ。街道はリュックを背負った旅人で
 いっぱいだ。坂を下りきって左折する。猿田彦神社から宇治浦田町の交差点を横断しておはらい町へ入る。
 なんでこんなに人がいるの。思わず絶句!!。真直ぐに歩けない!。やはり伊勢は1月中は正月なんだ。
 
 14:40 伊勢街道の最終点、内宮に着く。 宇治橋を渡り、古札と正月飾りを収め正宮に参拝する

     
  月夜見宮道標        両宮常夜灯         おはらい町           伊勢街道終点 
 
 この街道の終盤はまったく盛り上がりに欠けて何にもなかった。
 思えば小俣からはあまりにも知り尽くした道のため新鮮味がなかったのは事実だ。 
 しかし伊勢街道は絶対に歩きたかったのです!。
 しいて言えばあのウオーキング大会の参加者の方が街道歩きを盛り上げてくれたのかも知れない。
 皆さんありがとうございました。感謝!。

 帰りは国道23号を徒歩で近鉄五十鈴川駅に行く。
 宇治橋前のバス停は乗車待ちの人で数珠つなぎの列ができていた。

                             もくじ