ぶらり旅  2006年 2月 3日  伊勢別街道 


 京都から東海道を下り伊勢に参宮する人が通った伊勢別街道を歩く。
 JR関駅からお馴染の関宿を少し戻り、東の追分へ出る。
 追分の大鳥居から国道1号線を横断する。JR関西線をくぐって中ノ川を勧進橋で渡るといきなり「鈴鹿駅家跡(馬や
 人夫を備え宿舎を設けた場所)」がある。「御厩の松」と常夜灯、「武内大井神社遺跡」の石柱が立っている。
 道は左に折れ、連子格子の家並みを見ながら小さな集落をぬけて名阪国道の下をくぐり県道10号を行く。
 右に石山観音の道を分けると楠原宿へはいる。

    
   関宿 東の追分           鈴鹿駅家跡     石標・常夜灯       御厩の松 

 ここにも連子格子の家並みが多く見られ街道の趣は充分だ。
 一旦集落をぬけて県道で中ノ川を渡り、細い日を登って行くと林の集落に入る。小さな十字路の角の左手に古い
 洋風建築の建物がある。「芸濃町資料館」と地図にあるがこの日は玄関が封鎖されていた。
 道を右にとり林の集落を出る県道の角に道標を兼ねた常夜灯がある。正面に「御神灯 右さんぐゔ道 左京道」と
 ある。県道を横切り集落を抜け、横山池の堤防を廻り込みながら先で左に折れると椋本の宿に入る。
 問屋があったとされる町筋を行くと「道路里程標」を復元した木製の標柱と、「左さんぐう道」と刻まれた道標がある。
 
     
    楠原の家並み        芸濃町資料館         常夜灯の道標     道路里程標と道標
 道を左にとりすぐ先を右に折れる。曲る角に旅籠屋「角屋」
 がある。
 現在も営業中の旅館であるが、軒下に多くの参宮講札
 が並ぶ。
 入口に小さく「伊勢別街道椋本宿」の染がある暖簾が懸かり
 なんとも粋なものである。
 街道ムード満点の椋本宿を通りぬけると再び県道10号に
 合流する。
  
  豊久野から県道は芸濃インターで伊勢自動車道をくぐり、何にもない退屈な歩きがしばらく続く。
 長い県道歩きから高野尾に入る。茶屋、丸屋、花屋、団子屋、ちょうちん屋などの屋号の家々があると地図の解説
 にあるが確認できない。長い高野尾の集落からまたまた県道に出る手前の三角帯に小堂がある。
 「ぜに可け松」と彫られた石碑が建ち、常夜灯、句碑「可布多かと 松にひと声 敦公 香興」などが散在する。
 あとで調べたら、小堂の中には松の切株が祀られており紐でつるした江戸時代の銭が幾つか掛けてある。
 と解説書にあった。当然確認はしていない。また銭賭松の由来には3通りあるというが詳細は省く。
         
 
 何度も県道と合流しながらきた別街道はこの先10号倍バイパスが延びて直進するが、街道は旧10号線を行く。
 また何もない県道をひたすら歩くが、大里睦合町の道筋の家並みは連子格子や、重厚な門構えの家が残り、
 街道の面影を充分に味わうことができる。
 こんな街道沿いになぜかツバメの巣があった。春になればツバメは戻ってくるのだろうか。
 こんな県道の片隅の家の軒下に?と、子供の頃の田舎で見慣れた思いがよぎる。
 中ノ川を渡り窪田の宿に入る。途中明治天皇窪田御小休所」の標柱が建つ家がかっての
 本陣だったという。
 道はJR紀勢本線を見る手前で右に折れる。すぐに大きな窪田常夜灯がある。雨になる。
 伊勢街道のときもそうだったが、何故か江戸橋に近づくと雨が降る。
 そのさきJRの踏切を渡り一身田駅を見るとすぐ真宗高田派本山「専修寺」がある。前にも来 ているので先を急ぐ。
 雨と風で動きがとれず、寺内の家並みもゆっくり楽しむこともできなかった。
 寺内から伊勢鉄道の線路をくぐると一身田中野。
 鍵型に道を行き江戸橋駅を右にみて近鉄名古屋線の踏切を越え ると伊勢街道との合流点はすぐである。

 
     
   明治天皇御小休止所碑     重厚な門構えの家       窪田の常夜灯      江戸橋伊勢街道追分
 
   短い距離で脇道(支道)としての別街道だが、街道に残る家並みを見ながら歩くにはは充分に楽しむことが
   できる道である。
   
  



                                                             もくじ