ぶらり旅  2006年 7月12日 東海道 石部から草津宿
                            15日       草津から大津宿

  
  彦根、安土、五個荘、近江八幡と近江湖東の町を訪れたが、草津にはまだ行っていない。
  東海道と中山道の追分でもある。
  どうせならばと芭蕉の句碑めぐりで以前に歩いた東海道を石部宿から歩いて行こうと、
  梅雨の合間に出かける。
  
  JR石部駅から旧道に出る。歩きはjめてすぐに新しい「石部宿」のモニュメントがある。
  かっての西縄手で松並木があった場所と案内板にある。
  道はJR草津線に沿って西に延びる。

     
     
    名神高速をくぐり、右に近江富士の三上山が近くなると伊勢落の集落に入る。
  ここから林、六地蔵、手原の集落を抜けていく。
  各集落のそれらしき家には「旅籠屋」、「饅頭屋」、「酒屋」。「両替商」などの看板が掛けられて、
  東海道まちずくりの工夫がされているのがよく分かる。。
                                                                                   
  六地蔵には漢方薬和中散を売っていた
 旧和中散本舗の建物が残っていて、その重厚な
 造りを外観だけだが見ることが出来る。
 すぐ先にはこれも新しいモニュメントと
 東海道一里塚の石柱がある。
 
     
                                                                               
 
  手原集落のの古い家並や「すずめ茶屋跡地」、などを見ながら西に進んできた旧道は南西に折れると
  上鈎(かみまがり)に入る。
  
        
 
  「足利義尚公鈎の陣所ゆかりの地」をみて坊袋から目川へ、目川にある一里塚の石柱。
  草津宿まで半里とある。小刻みに曲がりながら来た道は岡で再び西にとり草津に入っていく。
  新幹線のガードをくぐり、国道1号線を高架で横断する。国道はすぐ横の草津川の下をトンネルで抜けていく。
  草津川が天井川であることがよく分かる。
  
              
国道を渡ってすぐの道を左斜め後に入り、草津川を渡ると右に折れる。             すぐに「右 金勝寺志がらき道 左 東海道いせ道」と刻まれた火袋付石造の
道標がある(もともとは道を挟んだ反対側にあったと説明にある)。
草津宿の江戸口である。
ここから街道筋の家並みを行くとすぐに東海道と
中山道の追分に出る。
  
天井川の草津川トンネルの角に
「右 東海道いせみち 
  左 中山道美のぢ 」と刻まれた
火袋付石造の道標が建ち、前には
高札場跡がある。

 
  中山道は天井川の草津川をくぐってきてこの追分で終わる。
  東海道は左折し草津宿を南下していく。 雨になった。                
              
          追分                     本陣              脇本陣跡
     
   ここから大津までは14キロほど。歩きは次にして草津散策をする。
   追分を左折するとすぐに草津宿本陣がある。
   本陣を見学するのは初めてである。現存する本陣としては日本最大級とのことである。
   すぐ前の脇本陣跡は草津市の観光物産館で建物の影に隠れるように石柱が立っている。
   このあと、街道交流館を見て中山道を草津駅まで歩く。
          
   
  7月15日 草津から大津宿

            東海道線草津駅から中山道を追分まで戻る。
            追分から再開する。
             
   東海道追分から道は南下する。本四商店街のアーケードを抜けてしばらく行くと立木神社がある。
   すぐに矢倉一丁目。先の瓢泉堂の角に「矢橋の道標」がある。
   矢橋湊跡への道標か?「・・・ 大津船わたし」の文字が読める。
   街道の面影が残る細い道を雰囲気を楽しみながら気分良くあるく。しかし暑い。
   矢倉南の交差点で国道1号を斜めに横切り、少し西から東へ回り込むと小さな「上北池公園」がある。
   公園の中に「東海道」と「野路の一里塚」の石柱が立っている。
   その先で交差する道をトンネルでくぐるとすぐに「野路の玉川跡」があり水が湧き出ている。
   ”伏流水が湧き出し、萩の花が咲く名勝、名水の地であった”と説明板にある。

      
       矢橋の道標         矢倉の旧道        野路の一里塚        野路の玉川
  
   野路町を過ぎ南笠から月輪町に入る。立派な家並みの続く旧道を行くと、月輪寺の前に「新田開発発祥之地」
   の碑と「明治天皇御東遷御駐軍之所」の石碑が建つ。その先の溜池が月輪池。
   池の前には「東海道立場跡」の新しい石柱が立つ。
   左右にカーブしながら南下する道を道なりに行くと、一里山二町目の交差点角に「一里塚跡」の石碑がある。
   道を横断し坂を下りていくと大江町。大江三丁目の点滅信号を左に折れて500mほど先で右折、そのまま
   道なりに行くと国道1号に合流する。国道を行き建部神社を見るとやがて瀬田の商店街から唐橋に出る。
   
  
 月輪の旧道と家の虫籠窓と煙出し屋根   新田開発発祥之地石碑    立場跡石柱       一里塚跡碑
  
                                         
瀬田の唐橋を渡り鳥居川の交差点を右折し、石山の商店街を抜けたさきで
東海道本線のガードをくぐる。
道はゆるやかにカーブをしながら北上していく。
 古い家並みのある御殿浜で雨になる。
 大粒の雨が道を叩き水しぶきが跳ね上がる。
 旅用の傘ではとても耐えられないほどの土砂降りに
 京阪瓦ヶ浜駅に避難する。
 3本の電車が通過したころ雨は小止みになった。
 凄い通り雨。歩きを再開する。
 少し先で旧道を離れ100mほど斜めに戻り戒琳庵に
     寄り道する。境内に芭蕉句碑がある。
  東海道に戻り左折、右折し膳所商店街を行く。この辺りは以前芭蕉句碑めぐりで歩いたところで懐かしい。
  和田神社の角から小刻みに右、左折を繰返し、膳所城北総門跡の小さな石柱を見ると道は西へ。
  道なりに進み、膳所駅から来る「ときめき坂」を横断すると左に義仲寺。木曽義仲と芭蕉の墓がある。
  
  
          義仲寺        露国皇太子遭難碑      札の辻標柱       大津宿本陣跡

    道は市が県庁のすぐ北を通り京町へ。途中大津駅前の大通り手前の角に「露国皇太子遭難之地」碑が
  ある。駅前通りを横断するとやがて札の辻跡。広い通りを左折し東海道は逢阪山へと向う。
  すぐに大きな「明治天皇聖跡碑」の石碑が建つ大津宿本陣跡がある。道にレリーフが埋め込まれていて
  ここだと分かる。
  この先の春日町交差点が以前歩いた小関越えの出発地である。 空模様が怪しくなる。
  春日町交差点から急いで大津駅に向う。
  

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