ぶらり旅  2006年 9月 3日 東海道 島田から掛川宿
                                         大井川と小夜の中山
                            

  芭蕉の「野ざらし紀行」本文では、冨士川の”捨子・・・”の場面から次は大井川を越えて小夜の中山に移る。
  金谷宿を挟んで東の大井川の渡しと、西の小夜の中山峠越えはともに東海道の難所である。
  島田から金谷、日坂、掛川宿まで二つの難所を越えて芭蕉句碑を訪ねて歩いた。  
  島田JR島田駅西側の宗長庵趾に宗長の句碑とともに「(さみ)たれの(空)吹きおとせ大井川」(上部が欠落)
  元禄7年(1694)の芭蕉句碑が建つ。ここから北に少し行くと旧東海道に出る。
  道に沿った静岡銀行島田支店横に、「俳聖芭蕉翁遺跡 塚本如舟邸址標識について (略)、詳細が刻まれた
  鋼板が埋め込まれた台石に如舟と芭蕉の連句碑が建つ。
   「やはらかに たけよことしの手作麦 如舟 田植えとゝもに たひの朝起 はせを 
       元禄七 五月雨に降りこめられて あるしのもてなしに心うこきて聊筆とる事になん」。
  すぐ西に行くと島田信用金庫の角に
   「するかの國に入て するかちやはなたち花もちやのにほい はせを」元禄7年(1694)の句碑。 
         
          宗長庵趾の句碑      静岡銀行島田支店横     島田信用金庫の角      大井川川会所
  東海道は西へ歩き大井川の渡しに向う。
  吉原宿も昔の面影は何処にもなく、商店街を抜けるとパルプ工場に沿った集落を行く。
  川の手前には大井川川越遺跡があり、川越の料金所「川会所」や人足の待合所(番宿)が再現されている。
  川会所跡に芭蕉の「馬方はしらし時雨の大井川」元禄4年(1691)の句碑がある。
  島田大堤をみて先に行くと大井川の堤防。「越すに越されぬ大井川」の渡し跡は公園に整備されている。   
  
    大井川川越遺跡           川会所             渡し場跡         大井川橋
 
 難所、大井川の川越は、北に500mほど行った大井川橋で迂回する。
 橋を渡り、堤防道路を少し南に行き旧道に入る。すぐに「金谷宿」の石柱がある。

道はしばらく西に行き、
南に向きを変えると金谷宿の
中心部に入る。
途中に本陣跡が2つ。
「佐塚屋本陣跡」と
「柏屋本陣跡」。
ここから道は徐々に登りになる。
駅の手前に「一里塚跡」の
案内板がある。

「一里塚跡」をみてガードをくぐると「長光寺」の石段。
境内の鐘楼の横に芭蕉句碑がある。
「馬上吟 はせを 道のべの木槿は馬にくはれけり
貞享元年(1684)〜野ざらし紀行〜。

石段を降りて旧道に戻り集落のなか急坂を登る。
県道を渡ると「旧東海道石畳入口」の案内板がある。

                    少し登ると石畳の入口、「東海道金谷坂」の車止め。
                    右に「石畳茶屋」。少し休憩する。
  
金谷坂石畳の説明には ”近年、僅30メートルを残す以外はすべてコンクリートで
舗装されていたが、平成3年町民約600人の参加を得て実施された「平成の道
普請」で延長430メートルが復元された” とある。

石畳を登りきって少し左に入ると芭蕉句碑が建つ。
表面がでこぼこの石に
「馬に寝て残夢月遠し茶の烟」貞享元年(1684)
〜野ざらし紀行〜。
この辺りで詠まれたものとある。
                    茶畑の道を行き、右に諏訪原城址の案内をみると
                    菊川坂の石畳に出る。
 
 
  
  こちらは改修されていないままだそうで、長さは・・・メートル。
  坂の途中の案内板は草に覆われて一部読めない。 長い石畳の急坂を下る。
  踏み跡もなく途中からは草むらの石畳になる。下りきると道は間の宿「菊川」に延びている。
  菊川宿を抜けると、いよいよ小夜の中山への登り坂。
  箱根、鈴鹿峠とともに東海道の三大難所といわれていたそうだ。いきなり急坂を行く。
  前傾姿勢もいいところで、ここが青木坂(箭置坂)というそうだが、これが生活道路である。
  この地の人はこの坂を平気で上り下りしているのかしら?
  道の辺の槿や芙蓉を眺めながら、息を切らして登りきると「久延寺」がある。
  奈良時代の行基が開基と伝えられる名刹だそうだ。山号佐夜中山。
  境内には「久延寺夜泣き石」、家康御手植えの「五葉松」。 掛川城主であった山内一豊が会津攻め向う
  徳川家康をもてなすために設けた「茶亭跡」などがあり、五葉松の傍らには芭蕉句碑が建つ。
  句は「馬に寝て残夢月遠し茶のけぶり」。
  峠には茶店「扇屋」が今も営業している。一帯は小夜の中山公園として整備されており、
  入口に大きな西行歌碑 「年たけてまた越ゆべしとおもひきや命なりけりさやの中山」がある。
   
    
      久延寺山門          久延寺夜泣き石         芭蕉句碑            扇屋 
  
  峠を過ぎると道は沓掛までゆっくりと下っていく。
  道端には随所に小夜の中山を詠んだ歌碑や句碑が建てられていて、「歌碑・句碑の道」になっている。
  途中には、「佐夜鹿一里塚跡」、はるかに粟が岳の「茶」文字が眺められる。しばらく行くと「涼み松小広場」。
  片隅に「命なりわづかの笠の下涼み」延宝4年(1676)の芭蕉句碑が建つ。
  その先、道端にも芭蕉句碑「馬に寝て・・・」がある。そして「夜泣き石跡」、かって夜泣き石があったところ。
  明治の東京博覧会に出展後、現在の場所(国道1号線脇)に移されたそうである。
  傍に「広重の絵碑」が建てられている。広重が描いた「東海道五十三次日坂」の場所だそうである。
  沓掛に入ると道は「二の曲り」。急坂を転げ落ちるように日坂宿入口まで下って行く。
  
   
      一里塚跡           粟が岳・茶の字        涼み松広場           芭蕉句碑
                 
        夜泣き石跡           広重の絵碑                沓掛二の曲り
   国道1号バイパスをくぐり、1号線を渡ると日坂宿。秋葉常夜灯をみてすぐに本陣跡。
   藤文、萬屋、川坂屋などの古い建物が残る宿町をみながら、街道歩きを堪能する。
   昔のままの高札場と下木戸跡。川を渡ると集落を抜けるとしばらく国道1号を行く。
  
      日坂宿本陣              藤文            川坂屋             高札場

                     ここから先は何も見るところもない街道歩き。掛川までは5キロほど。
 旧道を拾いながら淡々と行く。
 宮村、八坂と行き、八坂ICで旧道に入るとしばらくで
  「伊達方一里塚跡」。

 木村橋交差点で再び旧道に入り、馬喰橋袂の
 「葛川一里塚跡」をみるとやがて道は掛川宿の
 「七曲り」に入る。
 
   地図とにらめっこで道を拾っていくが大通りで道を
                                              外したようだ。掛川城の大手門通に出てしまった。
                     この七曲りには苦労させられるわ。 
    
「山内一豊ゆかりの地」の幟がはためく掛川城。
ここまで来たら寄らぬわけにはいくまい。
大手門横から天守閣を見る。

天守閣、掛川城御殿を見ながら、なぜか長く感じた今日の街道歩きを終える。

「野ざらし紀行」の芭蕉句碑を訪ねるぶらり旅。
まだまだ歩くところは多い。
  

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