ぶらり旅  2006年 7月26日 東海道 鈴鹿峠から土山宿・水口
                            

  
  芭蕉の句碑を巡って歩いた東海道。芭蕉の句碑がある宿と街道は歩き終えた。
  吉田(豊橋)から始めて西の東海道は、最後の小関越え分岐から三条大橋を残しているが、途中の石部から
  草津、そして大津までを歩いたことで、歩くつもりのなかった鈴鹿峠から土山、そして水口の東見付までが
  残ってしまった。
  やはり歩いた道を繋ぐためにはと、何もない東海道の鈴鹿峠から土山宿・そして水口東見付までを歩いて、
  吉田(豊橋)から近江小関越え分岐までの西の東海道をつなぐことにする。
  
  バス停「伊勢坂下」から鈴鹿峠に向う。
  歩きなれた?道を片山神社から峠に出る。万人講常夜灯の休み処から再開する。
  道はゆるやかに下りて国道一号線に合流する。
  ここから何もない国道歩きが続く。
最初の山中集落に入ると、先ですぐ上を第二名神の巨大な橋桁が道を跨ぐ。
近代の粋を集めた建造物の下を、細い昔の旧道が延びる。
まさに新旧の道が交差する。
  
再び国道に戻ると猪鼻の集落を国道で迂回して過ぎる。
先の蟹が坂で旧道に入り、新しい海道橋を渡り田村神社の境内に入る。
  

 ちょうど「万灯籠」の日で境内、
 参道一帯は献灯の提灯で埋め尽くされていた。

 初めて見る田村神社。
 あらためて神社の格を感じる。


  境内を出て国道を横断する。「道の駅」横から西に廻り込むと「土山宿」に入る。
  

鈴鹿坂下と相対して知られる土山宿。
鈴鹿馬子唄の両宿だがこの宿の「旅籠・・・跡」の標柱の
多いののは正直うんざりする。
各戸に上がる元「・・・屋」の表号の木札にも、
なぜかしっくりこないのはなんでしょうか? 
              
             井筒屋跡          土山本陣           常明寺
  宿の中には「森白州終焉の地井筒屋」跡、問屋場跡、土山本陣跡、大黒屋本陣跡と問屋場・高札場跡、
  そして常明寺がある。
  常明寺は明治の文豪森鴎外の祖父で、1861年参勤交代の折にここ「井筒屋」で客死して常明寺に
  葬られたとある。
               
          前野村の旧屋号        市場の旧道            市場村の屋号
  土山宿を抜けると道は国道を渡って野洲川に。今は川を渡れず案内のままに歩道橋の「歌声橋」を渡る。
  すぐ先で右からくる旧道と合流すると、前野、市場、三軒家の集落を抜けていく。
  ここにも各集落の家には、やはり昔の屋号の木札と、「旅籠・・・跡」の石柱がみれる。
  
  市場から三軒茶屋を抜け今宿のモニュメントをみてから国道を横断すると「水口宿」の入口。
  
  


  道をすぐ右にとると「土山一里塚」。
  今郷、新城と集落を行き、
     県道を横断すると水口「田町」の石柱がある。
  すぐ先が水口東見付だ。
  
  
  ここからは以前歩いた水口宿。
     思い出すように近江鉄道「水口石橋駅」まで歩く。 
  

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