ぶらり旅  2007年 1月12日 東海道 新居から二川宿
                             14日       二川から吉田宿


  2007年、最初の街道歩きは少し短いところで、東海道・新居から二川宿。
         愛知県の東海道を歩いてしまいたいと調べたら、スタートの県境に一番近いのが白須賀宿。
         しかし近くに公共機関の駅が無い。静岡側の新居駅が一番近く、それならと新居宿から吉田
        (豊橋)までを歩くことにする。
  
     新居町駅を11:30の遅いスタ―ト。すぐ前の旧道を新居関跡に向かう。海の関所(かって新居と舞阪は
  浜名湖を船で行き来していた)として、また現存する関所建物として貴重な史跡である。
   関所(面番所)の内部が人形により再現されていて意外にリアルだ。
  他にも女改長屋(おんなあらためながや)、下改長屋、足軽勝手などを見学する。

      
         関所全景                    面番所表と内部の様子

      敷地内にはかっての渡船場跡も再現されていて、その様子は隣接する新居関所資料館で知ることができる。
  
      
  すぐ先には新居宿旅籠紀伊国屋があり、明治の初期に大火で焼失したが、その後建て替えられた建物は
  江戸後期の建築様式が随所に見ることができる。
  何故か由美かおるのサイン色紙と写真が置かれた風呂場もあった。水戸黄門の入浴シーン?まさか。


 旅籠からすぐに本陣跡が2つ。参考本では3つ並ぶとあるが?
 疋田弥五助本陣跡と

 飯田武兵衛本陣跡。
 ここから街道は直角に曲がって南下する。
 この後、寄馬跡、一里塚跡、棒鼻跡をみて宿を抜ける。
 一旦国道に出て旧道に戻る角に源頼朝が上洛のときに
 湯茶に用いたという風炉の井がある。
                  
   
  
                    
 
 すぐの橋本西で国道から離れて旧道に入る。   
 やがて松並木が続く長い一本道を行く。
 車の通行量も少なく、松並木の歩道を静かな田園風景を
 楽しみながらの歩きだ。
 松並木が切れるとやがて白須賀宿のイラストマップの案内
 がある。ここで確認したつもりだが途中にある元町の一里塚
 を見逃してしまい、潮見坂下まで来てしまった。 

                      潮見坂下の案内板の傍に小さい道標が建つ。
                      「右 旧道 左 新道」。ここから潮見坂である。
  
          
        坂下から潮見坂     潮見坂公園跡先から見る遠州灘       白須賀宿の旧道

  結構きつい坂を上って行く。途中に坂の説明が書かれた駒札がある。
  ”潮見坂は街道一の景勝地として数々の紀行文にその風景が記されています。・・・・・広重も、この絶景には
  感心を抱いたようで、遠州灘を背景に、その一帯の風景を忠実に描いています”とある。
  坂を上りきると潮見公園の石柱が建つ広場に出る。確かに広重の浮世絵のパネルが立っている。
  展望台に出たが見通しは効かない。少し先の一角から遠州灘が見えるが景観はイマイチだった。
  ここから宿の中心部に入って行く。古い町並みが宿場の面影を残していい感じだ。
  曲尺手(かんのて)の駒札がある枡形に折れる道を下ると本陣、脇本陣跡があるはずだが?なぜか見落とす。
           
      火防樹のマキ         高札場跡             境川の県境標識

  信号を越えて西町に入ると工事中の陰に火防樹なるものがある。
  説明によると、ここは冬に西風が強く大火が多く、延焼を防ぐためにマキが植えられたそうだ。
  境宿の古い建物をみるとすぐに高札場跡の石柱があり宿を抜ける。
  国道42号線と合流するとすぐ先が境川。端の中央に黄色い県境の標識がある。
  ここが遠江(静岡県)と三河(愛知県)の国境(県境)である。 
  すぐ先で国道1号線に合流すると、後はただひたすら味気ない国道を歩く。
  途中に細谷の一里塚跡があるはずだが、なんとこれも見落としてしまった! 国道沿いに続く一面の
  キャベツ畑なのに、見つけられなかった? 今日はどうかしてる。

  長い国道歩きの後、 二川ガード南で新幹線をくぐり東海道線の北の道をしばらく行くと二川一里塚跡がある。
  
      
  新居の一里塚から2つ見落として、ようやくみる一里塚である。
    その先にある妙泉寺には芭蕉句碑(紫陽花塚)があった。
    句は「あぢさゐや藪を小庭のべつ座敷」元禄七年(1694)の吟。
  
    ここからしばらくで二川宿の本陣資料館(本陣跡)がある。
  
  
   2007年1月14日 二川から吉田宿

 
  JR二川駅から二川宿本陣跡まで1キロほど戻り、今回はここからスタートする。
  吉田までは約7キロほどと短いから急ぐことはない。
  本陣と隣接する資料館、旅籠清明屋を見学する。
        
     二川宿ジオラマ             旅籠清明屋           本陣玄関の間から

     資料館は ”「東海道」、「二川宿」、「本陣」のコーナーがあり、江戸時代の街道や宿場、本陣、大名行列
  について分かりやすく知ることができる”とある。
  宿のコーナーでは二川宿の様子がジオラマで再現されており、他にも街道や旅の必要品などが、
  展示されている。  旅籠清明屋、本陣の内部を見学して本陣を出る。

  

         

  道に点在する高札場跡、西問屋場跡、郷蔵跡、立場茶屋跡などの石柱を拾って行く。
 
       

  駅を過ぎて道がカーブする角に「右東海道」の道標が建つ。渥美郡奥部道標(田原街道へ続く)である。
  ここから火打坂。坂を上って左に切れると途中に旧東海道松並木の駒札が立つ小さな松並木がある。
  これは、これから先の街道に松並木を再現してくれる取り組みだろう。
  その先に街道名物黒松の松があるが、こちらはほとんど枯れる寸前で、さすがに撮るには偲びがたい。
  が・・・、あえて逆光で枯れる様を押さえ気味に撮った。つらいね〜。
  ここから後は吉田宿まで何も無い道を行くことになる。
  国道1号線に合流する地点で、飯村の一里塚跡があるはずだが、なんとここも見落とす。
  何度も確認して注意していたのに?また、何で?になった。
 

  

             
  
     豊橋市街に入り、東八町(ひがしはっちょう)の交差点には、北に常夜灯、南に東惣門跡がある。
     ここから小刻みに右左折する道を行き吉田宿に入る。 ここからはとてもマップなしでは歩けない。


         


   NTT傍に立つ問屋場跡の標柱を見て街道を外れ、吉田城址に寄る。今は豊橋公園となっている  
     吉田城本丸跡に、鉄櫓(くろがねやぐら)が再現され公開されている。見学して街道に戻る。

       

     NTT前の駅前通りの札木交差点を渡るとすぐ右に本陣跡の標柱、食事処の店先に本陣跡の石標が建つ。
     その先の松葉公園を右にとると国道23号線(蒲郡街道)の角に西惣門跡が建つ。
  豊川手前で左折、大橋通りを右折するとすぐに豊橋を渡る。この辺りは前に歩いたところ。
     これで愛知県の東海道は歩き終えた。 ここから先、三重県、滋賀県の東海道はすでに歩いている。
  西で残るのは京都山科の小関越え分岐から三条大橋までとなった。

    

  

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