ぶらり旅 2007年 1月29日 東海道 大津から三条大橋
東海道の西の締めくくりにと大津から三条大橋を歩いてきた。大津の春日町交差点から先の一部は 小関越えですでに歩いているが、東海道歩きとしての続きとして改めて歩き直す。 |
春日町交差点から国道161号線を少し行き、蝉丸神社上社を見ると国道1号線に合流する。坂を上りきると 正面に「逢坂山関趾」の石碑と常夜灯が立っている。国道を横断し「関趾」石碑の横から少しだけの旧道を行く。 右に蝉丸神社の分社があり、前の民家の隅に「右 京三条道」の道標がある。 京阪草津線と国道を跨線橋で越えると国道を行く。 |
蝉丸神社上社 逢阪山関趾と常夜灯 蝉丸神社分社 京 道標 |
走井 伏見追分 四の宮の旧家 小関越道標 |
すぐ先で「走井」の月心寺を見て国道を下り、名神高速を くぐって左の旧道へ。
少し行行った伏見道との追分 に、「みぎ 京みち ひだり ふしみみち」の道標が建つ。みぎに京みちを行く。 追分を過ぎて国道2本を高架橋で渡りすぐ右に 折れると古い趣のある家がみられる四の宮。 途中に小関越の大きな道標「三井寺観音道」 が建つ。東海道を右にとると大津三井寺への小関越えである。 |
旧三条の文字がある 山科地蔵 愛宕常夜灯 五條別れ道標 |
京都に入り「旧三条四ノ宮」の信号標識がある四の宮を通り、東海道の守護仏と説明のある山科地蔵などを みながら道はまっすぐ西へ。山科駅を右に見ると愛宕常夜灯が立っている。愛宕信仰の根強いさを感じる。 さらに行くと道が少し右にカーブする左角に五條別れの道標がある。「右ハ 三条通り 左ハ 五條橋・・・」、 右下に六条大仏の文字がある。詳しくは説明できないがおそらく方広寺の大仏を指すのだろう。 この大仏、秀吉の命によって建立されたもので、東大寺の大仏をしのぐ大きなものであったそうだが、 今はない。再び国道に合流しJR琵琶湖線をくぐる。右に天智天皇陵の入り口を見たら左へ細い道に入り、 後は家の密集する、ほんとに細い道を道なりに日ノ岡峠へ向う。ここは車要注意!だ。 |
御陵辺りから道は上りになると、途中に「亀の水不動」の亀の水がある。 道を上りきり右に国道が見え始めると「旧東海 道」の新しい道標がありすぐに国道に出る。 国道の隅にかっての三条通りにあった車石を 利用して、往年の様子を模した牛車道のある 小公園があった。 地下鉄東西線が開通して京阪京津線が廃線に なり、その敷石を残す目的でもあるようだ。 |
蹴上浄水場横 蹴上交差点 粟田口の標柱 |
少し先で道は下りになり、蹴上浄水場の横にある標識に三条大橋の文字が出る。すぐに蹴上交差点。 道は左に大きくカーブして三条通りに入る。三条大橋はもうすぐである。日本橋から通し歩きをしてきた 何百人?(もっとかな)の人たちは一体この蹴上のカーブをどんな気持ちで回ったのか、は想像に難くない。 おそらく誰もが同じ気持ちで、思いを共有しているのでは?と。 こちらは「粟田口」の石標を探してウロウロする。三条通りから神宮通りを左に入ったすぐの白川小学校の門 の片隅に駒札と共に立っていた。京の七口の一つで、都から江戸への出口である。 戻ると東海道も終りに近い。1キロほどで三条大橋に着く。 |
三条白川橋道標 弥次喜多像 三条大橋 |
白川小学校の先、白川に架かる白川橋の袂にある三条白川橋道標 「是よりひだり ちをんいんぎをん きよみづみち」を見るとるとすぐに三条大橋。橋の手前に御所遥拝の高山彦九郎像、渡りきると左に 弥次喜多像があった。 三条通りはこの先嵐山まで続いている。 東海道は道を変え、京街道として伏見、淀、枚方、守口宿を経て大阪高麗橋まで57次として続きます。 |
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