ぶらり旅 2006年 8月11日 中山道 加納宿から鵜沼宿
ぶつ切りで歩いている中山道。夏の盛りでもあり近場を歩こうと鵜沼の芭蕉句碑を訪ねる。 貞享5年8月11日 芭蕉は美濃を出発し姨捨の月を見る更級紀行の旅に出ている。 ちょうど月日も同じ8月11日。岐阜の加納宿から鵜沼宿、4里7町(約17キロ)を歩いた。 鵜沼の説明板をみるまでは美濃の出発は岐阜だとばかり思っていたが、なんと鵜沼が出発地とある。 お粗末な話でお恥ずかしい限り。また一つ勉強になった街道歩きであった。 |
JR岐阜駅南口から南に200mほど行き中山道に入る。 左に八幡神社をみると「中山道加納宿脇本陣跡」の 石柱がある。そこからすぐに本陣跡。 「皇女和宮御仮泊所跡」の石柱と玄関脇に和宮の 歌碑が建つ。 文久元年(1861)10月26日当所で読まれた 「遠ざかる 都としれば旅ごろも 一夜の宿も 立ちうかれけり」 中山道と皇女和宮。まだまだあるんだろうな〜? |
国道157号を渡ると道は細かく右、左と枡形に曲る。 途中、京への道を分ける道標が意外と役に立つ。 高札場跡、問屋場跡の案内板をみながら道を拾っていくが 一箇所間違える。途中で気がつき道標を撮りに戻る。「右 岐阜谷汲 左 西京」 名鉄茶所駅で踏切を渡り加納の宿から領下、細畑へ。 |
道標 道標 高札場跡説明板 領下の旧道 |
国道156号「長森細畑」交差点手前に地蔵堂がある。美濃路の追分で石段の左角に 「西京道 指差し指標で伊勢名古屋ちかみち 木曽路・・・」の道標が建っている。ここからすぐに 「細畑一里塚」道の左右に榎が植えられた塚が現存する。 国道156号を渡りしばらく行った銀行の駐車場前に小広場があり、切通の由来と書かれた説明板が立っている。 |
地蔵堂と道標 細畑一里塚 切通由来の説明板 |
蔵前、高田と何もない道をひたすら行く。 東海北陸道の高架をくぐり、新加納へ入る。 右から来る道と合流するところに「新加納立場跡」案内板と 「新加納一里塚跡」の標柱がある。 岐阜から来ると振り返らないと分からない。 加納と鵜沼宿が17キロと長いため、ここ新加納に立場( 建場茶屋)と呼ばれる小休所が設けられた。と 説明板にある。 道は那加から各務ヶ原へと入っていく。 |
市民公園を過ぎて各務ヶ原の市街地を抜ける。 すぐ隣は航空自衛隊各務ヶ原基地だが、ときおり聞こえるジェット機の爆音 がなければここが基地だとは分からない。 市役所前を過ぎ、市街地から六軒町の静かな道へ入ると、左の家屋の隅に 「旧中山道六軒一里塚跡」の標柱がひっそりと立っている。 つい見落としてしまいそうだったが振り返って気がついた。 道は三柿野町で国道21号に合流し、川崎重工の工場の間を行くと、 名鉄の線路を跨線橋で越える。暑い国道歩きの始まりである。 13:30 気温32℃ 太陽を遮るものは何もない。 |
JR各務原駅からすぐに高山本線を跨線橋で越えて各務ヶ原町から苧ヶ瀬へ。 羽場でようやく国道から旧道へ入ると鵜沼宿は近い。 しばらく行くと右手が開け、真横に犬山城、右斜めに成田山不動尊そして 犬山モンキーパークの観覧車が見える。 高台からゆるやかにカーブして下っていくと交差点に出る。 右の角に鵜沼宿の石碑がある。 ここが宿の入口(出口)になる。 |
宿場の面影はあまりないが、しばらく行くと左手に「二宮神社」の鳥居が建つ。 傍に鵜沼宿の案内板と芭蕉句碑の説明板が立つ小広場があり、ここが坂井家脇本陣跡。 いくつかの句碑が建つ。碑はすべて芭蕉句碑。 説明板によると「芭蕉は貞享2年(1685)3月、貞享5年(1688)7月、そして同年8月、更科に旅立つ日の 3回にわたり鵜沼を訪れて句を詠んでいる」とある。 中の 二句★は 芭蕉全句集にはない。もう一句まだ新しい句碑があったが読みきれなくて確認中。 |
★ ★ 更科紀行首途の地 芭蕉句碑 汲溜の水 ふぐ汁も 送られつ 泡だつや蝉の声 喰えば喰わせよ菊の酒 送りつ果ては木曽の秋 貞享2年(1688) 貞享5年(1688) 貞享5年(1688) |
芭蕉句碑を確認して先に行くと大安寺大橋。 時代風に造られた橋や常夜灯が昔の雰囲気を出している。 ここから少し行くと変則四差路の交差点に出る。 正面に「ここは中山道鵜沼宿 これよりうとう峠左」 と刻まれた大きな道標がある。 左の細い道が中山道うとう峠へと続く。 今日の目的は鵜沼の芭蕉句碑。 道を右にとり名鉄新鵜沼駅に向う。 |
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