ぶらり旅  2006年 11月 15日 中山道 武佐から草津宿
                                                                     

   中山道の続きを歩きに出かける。
   家を出るのにもたついていたら遅くなってしまい、近江鉄道の武佐駅に着いたら11時になっていた。
   こんなに遅い時間から歩くのは初めてで、終りを少し気にしながらの歩きになりそうである。
   今日も風が強く寒い日である。
  

   

   駅を出た旧道を、駅を廻り込むように踏切を渡り先を行く。
   すぐに大きな楠の木の下に伊庭貞剛翁生誕の地の看板が立つ広場を見る。
   翁の屋敷き跡だそうで細かい説明だ書かれた案内板がたつ。
   旧道は程なく国道8号線に合流する。
   ここから旧道は国道と小刻みに合流しながら西へ進む。
   
    
馬淵町で国道を離れるが、角になぜか高札場の
石柱がある。中山道400年祭を記念して建てられた
ものだが?道は真直ぐに日野川へと向かう。
道はいろいろ枝分かれするが、いずれも先の
横関橋に繋がる。
地図では左に折れるがなぜか気になりそのまま
直進すると、突き当たりに日野川の渡し跡があった。荒れた休憩所がある。
戻るように土手の未舗装道を行くと地図の道に
合流し橋に出る。
渡ってすぐ通行禁止の鎖がある対岸の土手道を行く。
国道と旧道を交互に行くと立場(間の宿)の鏡宿である。
 
      宿跡看板         義経宿泊舘跡碑      義経烏帽子松         義経元服の池 
  ここは源義経元服の地で町中に幟がはためく。鏡神社の鳥居前には、元服の際に烏帽子を掛けたと
  いわれる松がある。上部が切られ太い松だけが残っている。
  国道沿いには宿跡の立て看板が立ち並び池、旧道の面影はないが短い集落に昔の面影が凝縮されている。
  国道をから旧道に入る反対側には「元服の池」がある。
  義経が元服したところだそうで、もみじが映えて美しい。
     旧道を行ってふたたび国道に合流するところに平宗盛塚の案内板がある。
  案内に従って雑木林と工場の間を少し入ると、突き当りの小広場に忘れた
  ように平宗盛の墓と平家終焉の地の説明板がある。
      
  「・・・壇ノ浦の合戦で平家一門はことごとく入水戦死したが、総大将の宗盛
  親子は捕らえられ、義経に連れられ鎌倉に行くが頼朝に追い返され京に
  戻る。京まで跡一日のここ篠原の地で、首を持ち帰るため宗盛親子を斬り、
  親子の胴は一つ穴に埋められ塚が建てられた。・・・」と続きます。

  国道をしばらく歩き淨勝寺前の交差点で右斜めに旧道に戻る。
  しばらく先で一旦国道に出るが、その辺りは工事中で道は大きく
  右に付け替えられている。そのまま行くと先で旧道に入った。
 小堤から銅鐸の町桜生(さくらばさま)へ。左に桜生史跡公園、
  古墳群のある公園がある。
 ここから道は野洲市の中心部に入って行く。
 右に大きくカーブしながら新幹線のガードをくぐり、斜め先の道を行く。

  広い道と交差する小学校の角に「中山道外和木の標」の説明碑と小公園がある。
  
  「ここから180m西に朝鮮人街道(江戸時代に朝鮮からの外交使節を迎えた道)の分岐があり、
  歴史的に意義深い場所である。名前は街道の分岐点が小篠原字外和木であったことから名付けられた。」
  説明を要約すればこんなもんです。
  その先の交差点で背くらべ地蔵を見る。そこからすぐに朝鮮人街道の分岐がある。
  ただ、道標がないので気をつけないと見逃す。
  道標はこの先、蓮照寺の境内、山門を入った左にまとめてあった。
 
   
       外和木の標          背くらべ地蔵                蓮照寺の道標群
  
  道はJR琵琶湖線をくぐり野洲川を渡って守山市に入る。野洲川橋から振り返ると三上山が見える。
  ここから守山宿は近い。
  宿に入ると見るところはあまりないがなぜか道標が多い。
  天満宮先には謡曲「望月」の舞台となった甲屋跡などもある。
  最後の道標をみて左に折れていくと東門院がある。重厚な仁王門に立派な本堂。
  思わず参詣してしまった。今日はじめての寄り道?である。
  久し振りに般若心経を唱え、少し色付いた紅葉を楽しむ。
  ここからすぐに守山宿を抜ける。 先の今宿一里塚を見てしばらく行くと栗東市に入る。
  
         
    野洲川橋から三上山                     守山宿の道標
    
     甲屋跡碑            東門院仁王門                        今宿一里塚 
  
 

栗東市に入るとすぐに大宝神社がある。
鳥居の横にある公園に芭蕉句碑が建つ。
「へそむらのまだ麦青し春のくれ」。芭蕉全句にはない、存疑不明である。
神社入口の傍らに比較的新しい道路元標がある。
  しばらく道なりに行き川を渡り小さなトンネルで線路をくぐる。
  複雑に折れ曲がる道を地図に従って行くが、他の道でもすぐ先で合流する。
  線路沿いに戻り高架の県道をくぐるとカラー舗装の旧道に入る。
  伊砂砂神社をみてさらに行くとすぐに草津駅前、15:45に通過。ナカマチ商店街のアーケードをぬけ、
  草津川のトンネルをくぐると東海道との追分に出る。
  
  ここで中山道は終わる。この先東海道が京都三条大橋へと続く。
  この先は東海道で歩いた道。すぐに引き返し草津駅に戻る。やっと近江の中山道歩きは終わった。
  
    これで美濃の中山道鵜沼宿から近江の草津宿までが繋がった。
  

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