ぶらり旅 2006年 11月 1日 中山道 寝覚の床・木曽の棧
芭蕉「更科紀行」。 ”さらしなの里、おばすて山の月見ん事、しきりすゝむる秋風の心に吹さはぎて、・・・(略)・・・ で始まり ・・・高山奇峰頭の上におほひ重りて、左りは大河ながれ、岸下の千尋のおもひをなし、 尺地(せきち)もたいらかならざれば、鞍のうへ静かならず。只あやうき煩のみやむときなし。 棧はし・寝覺など過て、猿がばゝ・たち峠などは四十八曲がりとかや、・・・・(略)。 と わずかに地名がでるだけの短い紀行文。詠まれた句も同行の越人の句、2句を含めて全13句である。 紀行での最初の句が木曽の棧で詠まれた。句を訪ねて寝覚・棧を歩く。 |
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少し先で短い萩原の集落を抜けると萩原一里塚跡の立て看板がある。 さらに国道歩きが続く。 右に小野の滝の案内板が見える。 滝をみてすぐ先で右に県道266号(荻原小川線)に入る。 結構きつい登りが続くが木曽路はすべて山の中?か。 小野原集落からぐんぐん上り、上りきると滑川橋。 橋から見る石の川原と、色好き始ねた木々がが美しい。 橋を渡って道なりにカーブして行くと上松原の集落。 |
右に上松中学をみるとその先、 少し開けたところから木曽駒ケ岳の雄大な 山並みが見える。 すぐに老舗旅館の越前屋とたせやがある。 間の細い道を下って寝覚の床に寄り道する。 国道を渡り、臨川寺受付で入山料200円を払う。 観光地だがさすがに平日、 それともシーズンオフ?か人が少ない。 |
芭蕉句碑 寝覚の床と公園の紅葉 |
まずは臨川寺の芭蕉句碑。 ” 昼顔に昼寝せふもの床の山 ” 貞享5年(1688) 近江彦根で詠んだ句で、美濃路から李由に送った 手紙にあるもの。 隣に子規の句碑がある。 ”白雲や青葉若葉の三十里”。解説はない。 階段を下りて寝覚の床に行く。 お馴染の観光写真はさてとして、紅葉が見れた。 やはり、この辺りまで来ると少し色付き始めている。 |
旧道に戻り、見帰、宮前と行くが、この辺りは旧道歩きが楽しめる。 上松小学校の傍にある諏訪神社の鳥居。本殿?は校庭の向こうにある?。 左に上松駅をみると右に折れ上松宿に入る。突き当たると「本町一里塚」がある枡形。 左に曲ると右に本陣跡の医院、前が脇本陣。どこにも案内板がないので見逃してしまう。 先で古い家並みを見て行くとすぐ十王橋。宿の出口(入口)である。 |
本町一里塚 本陣跡の医院 脇本陣跡 古い家並みが残る |
再び国道を歩くが、この辺りは新しいバイパスのトンネルができ、道が変わっている。 ここから長い国道を歩く。 歩道のない部分が多く、特に落ち込んだ山側に架かる橋は狭くて大型車には要注意だ。 新茶屋への道を分けてしばらくで「木曽の桟」の案内板が出る。 赤い橋が見えると桟はすぐ。橋を渡り突き当たると芭蕉句碑と子規の句碑が並んで建つ。 |
芭蕉句碑 子規句碑 木曽の桟 (下部に名残りの石積みも) |
右に芭蕉句碑 「桟や命をからむ蔦かずら」 貞享5年(1688)更科紀行での吟。 対岸の国道下に桟の跡が見える。 この碑を見るために歩いてきた中山道。しばし佇む。 芭蕉「更科紀行」はこの後一気に姥捨山へと進む。 ちなみに子規の句は2句。 「かけはしやあぶない処に山つつじ」と「桟や水へとゞかず五月雨」である。 |
少し色付いた紅葉をみながら国道に戻り、しばらく国道を行く。 沓掛にある沓掛一里塚をみて旧道に入る。 旧道、国道と小刻みに道を変え「中山道御岳遥拝所」の案内板でJRをくぐる。 この辺りは複雑に道が入り乱れるがどこかで合流する。 御岳遥拝所の鳥居をみて神戸の集落を抜けると、鳥居の集落から中平へ。 |
中平立場から左に下り小さな道祖神をみて道を下り 福島市街に入る。ここで道を外す。 直進してそのまま駅から来る旧道に入ってしまった。 (ここは坂を下りたら右に折れて、駅の横にある 八幡神社の裏に出るのが旧道のようだが、折れる道が 分からなかった)。 |
ここから先は観光で歩いた道。 八沢町から中八沢橋を渡ると整備された木曽福島宿の古い家並みが続く。 上ノ段用水で突当りを右にとると上ノ段坂。 この先が宿の中心部になるが、すぐの高札場をみて駅まで戻る。 「更科紀行」ハイライト。中山道はここまで。 次は次は北国街道脇往還。洗馬から「善光寺西街道」に入る。 さて次はどこから歩こう。 |
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