ぶらり旅  2006年 11月 7日 中山道 加納宿から垂井
                                                                     

   少し遅い時間になったので、近場でと中山道の加納から垂井を歩く。
   岐阜駅の加納口から、以前歩いた加納天満宮の参道に出る。
   前は、ここから鵜沼まで東に歩いたが、今回は西に河渡、美江寺、赤坂宿から垂井の追分まで歩く。
  すぐに脇本陣跡の石柱があるが、あとは何もない旧道を行く。
                  
東海道本線の高架をくぐりすぐの広い方の道を斜めにとる。
六ツ辻を直進しあとは道なりに進む。  

鏡島弘法(乙津寺)の案内板をみてさらに行き、河渡橋で長良川を渡る。
左におれて堤防下の道をしばらく行くと、右手に馬頭観音愛染堂がある。

  
  天保年間に道中家内安全五穀豊穣を祈願し、
  地元の人々の寄進によって建てられたもの。
  4度の移転、再建を重ねているが、
  今も町民の厚い信仰がある。
  さらに先に行って、民家のある道を右にとると
  河渡宿に入る。
                                                                            
    すぐ右に一里塚跡の立派な石標が建つ。
    名誉県民・・・の銘がある。
  何も見るべきものもない短い宿場を抜けると
  橋の手前に「河渡宿の道標」がある。
  西進して県道を越えて、道なりにカーブして行くと
  本田の集落に入って行く。

  糸貫川を渡った左手に本田地蔵堂(延命地蔵尊)、
  すぐに本田代官所跡の立て看板がある。
  間もなく家並みが途切れ、田園地帯に入る。
  今日は強風注意報がでていて、
  その影響か猛烈な西風をまともに受ける。寒い!!。
  田園風景を少し見て樽見鉄道の踏切を渡ると美江寺の宿に入る。
  静かな旧道をしばらく行くと右手に美江神社。 境内に「美江寺宿跡」の立派な碑がある。
  道は神社の前で左に折れて南下する。 左に「美江寺宿本陣跡」の標柱を見て行くと三叉路に出る。
         
          美江神社             境内の宿碑             本陣跡標柱
  
  角に
  「右 大垣赤坂二至ル 左 大垣墨俣に至る」の
  道標が建つ。
  右に道をとるとすぐに「千手観音堂」。
  
  さらに行って中学校の前を南西に斜めに行くが、
  真新しい小公園が造られていて
  各宿の石柱が建ち並ぶ。

                    この辺りは再開発されたようで、
                    道も大きく変わっているみたいだ。 
 
   宿場の名前を刻んだ石柱が並ぶ中を抜けて
   田園地帯の道を行くと土手に突き当たる。
   ここからは橋に出られない。
   目の前の鷺田橋を見ながら、一旦道路をくぐるために
   県道沿いに戻り反対側にでる。
   (ここは堤防手前の交差点を曲ったほうが正解かも)
   揖斐川を渡り川沿いに南下する。
   寺の屋根が見え山門(良縁寺)前に出ると右に折れて、古い町並みの残る呂久集落に入る。
   すぐ先で右に曲ると、「明治天皇御休止跡」の石柱が建つ立派な長屋門の家。
   前に和宮記念公園の「小簾(おず)紅園」がある。
   皇女和宮が、かっては呂久川といわれた揖斐川を渡る際にこの地の紅葉の美しさを詠んだ
   ” 落ちてゆく 身と知りながら もみじ葉の 人なつかしく こがれこそすれ ”の歌。
   和宮を偲んで建設された公園である。他方の入口に「揖斐川呂久渡場跡」の碑がある。
   かってはここが呂久川の渡し場であったが、大正14年の揖斐川改修で東に移ったと解説にある。
       
  明治天皇後休止跡の              小簾(おず)紅園               揖斐川呂久渡場跡碑 
  石柱がある家
  宿道を行くと「中山道 神戸町の道標」がある。 平野井川を渡って右に川沿いを行く。
  さらに行くと土手道と堤防が交差するところで左に「右 すのまた宿道 左 木曽路」の道標がある。  
  手元の案内所では真直ぐ堤防を行き、グランドが見えたら堤防を離れるとあるが、道標をみて堤防に上がると
  左に下りる道がある。上から見ると遊歩道のようだ。
  堤防を行くと突き当たりの県道で急な階段を下りる。先ほどの遊歩道と合流する。
  県道をくぐるとすぐ先にまだ新しい「中山道三回り半」の石柱がある。左に折れて道なりに集落を抜けて行く。
                 
          神戸の道標         堤防に建つ道標            三回り半石柱
  三津屋町の十字路の右手に「道標 聖観世音菩薩」の石柱があり、道標を兼ねた聖観音像(観音像の左右に
  道しるべ「右 ぜんこうじ道 左 谷汲山・ごうど いび・・」が刻まれている)の小さな祠がある。
  少し先の広い道を右折し、すぐの十字路を左折。 田畑のなかを道なりに進みと、カーブする手前に
  「中山道 七回り半」の石柱、この先道は小刻みに右左折する。
  最後の角に突き当たると「加納薬師如来 是より北八丁」の道標と小さな祠がある。
         
          聖観世音菩薩像                七回り半石柱         加納薬師如来道標
   
   左に曲がるとしばらくで近鉄養老線を越える。左に、「史跡 中山道一里塚跡」の標柱をみてさらに行くと
   左からくる国道417号と合流する。合流点に「左中山道」の道標を兼ねた常夜灯が建つ。
   旧杭瀬川を渡ると程なく旧赤坂港の常夜灯が見え、港跡の小公園に着く。
   
   ここから先、美濃国分寺まではかって芭蕉句碑めぐりで歩いた道だ。
        
                
       一里塚標柱          道標の常夜灯               赤坂港跡常夜灯
  本陣跡、谷汲み街道追分、脇本陣跡、甲塚など古い町並みの残る旧道を行く。
  その先、昼飯(ひるい)、青墓(あおはか)と珍しい名の集落を行く。途中、青墓には浄瑠璃「小栗判官」に
  登場する照手姫の水汲み井戸が伝承地としてある。
  青墓から右前方に国分寺跡を見て県道を斜めに渡り、青野の集落に入る。
        
    本陣跡公園           谷汲道追分         甲塚御使者場跡    青墓の照手姫水汲井戸
 


青野集落の中ほどに「国分寺道」の道標兼常夜灯がある。
右に北え向えば美濃国分寺跡に出る。
直進し、しばらく行くと常夜灯と「中山道 一里塚跡」標柱。
さらに進むと相川の手前で美濃路との追分に出る。
  
ここから柏原までは「おくの細道」で大垣に向うため、
柏原から逆に歩いてきた道である。
そのときは美濃路に入った。 

 

京から来ると、左 中仙道・右 美濃路である。
柵のなかに道標が建つ。

道を右にとって、相川を相川橋で渡る。
橋の袂が東の見付。
案内板の片隅に「中山道垂井宿」の標柱がある。
ここからJR垂井駅に出る。

                    強風注意報が出る中の中山道歩き。
    青野集落では空も怪しく一雨きそうだったが、何とか持ってくれた。
    久し振りに寒さに震えながらの歩きでした。

  

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