ぶらり旅 2006年 11月 8日 中山道 高宮から武佐宿
中山道の近江路、歩き残している高宮・無賃橋から草津宿のうち、高宮宿から武佐宿を歩く。 鳥居本から高宮宿は前に芭蕉の句碑めぐりで歩いており、その後も見れなかった句碑を訪ねて来ており、 今回が三度目である。 近江鉄道高宮駅から再び宿町を歩いて高宮橋(無賃橋)まで行き再開する。 |
脇本陣跡(格子に説明板のみ)、 門だけが残る本陣跡を見て宿道を行く。 前に来たときは芭蕉「紙子塚」までの写真しか 載せていないので改めて掲載。 過ぎるとすぐに無賃橋がある。 |
橋の袂に大きな石柱が立ち, 傍に「むちん橋地蔵尊」と、言われが書かれた 説明板がある。 橋が架かる犬上川を渡ると宿口だが、工事中で なんとも味気ない。 |
左に鈴鹿の山並みを見ながら道を行くと、葛籠(つづら)町に入る。 この辺りには少し松並木が残り街道の雰囲気がある。 松並木を見て行くと彦根市のモニュメントがある。 ここから豊郷町に入る。 豊郷町先人を偲ぶ館をみて石畑に入ると 八幡神社に「間の宿の碑」と「一里塚の里石畑」の 石柱が立つ小公園がある。 |
間の宿碑 八幡神社の小公園 伊藤忠兵衛生家 一里塚跡碑 |
豊郷町役場を過ぎるとすぐに伊藤忠兵衛生家がある。 丸紅・伊藤忠の創始者として知られるが、この手前にも新しい小公園に伊藤長兵衛旧邸跡の石碑があった。 こちらも丸紅創始者で、”伊藤忠を合併吸収し・・・・”とあったような気がしたが? いずれにしても財閥の祖の町である。 先の又十屋敷・豊会館の角に「一里塚跡」碑があった。 |
そこからすぐに「江州音頭発祥の地」の石柱が立つ千j樹寺がある。 ”観音堂再建の折に 地元の老若男女を集め手踊りをさせた・・・” とあるが、それが扇踊り、日傘踊りなど華やかで賑やかな踊りになった ようである。 道は宇曽川に架かる歌詰橋を渡り愛知川町に入る。 この歌詰橋にも言われがあるが、長くなるので次に行きます。 対岸にその説明板がありました。 |
沓掛を過ぎて三叉路を右にとるとしばらくで愛知川宿のアーチに迎えられる。 少し行ったさきに石柱と石仏群がある宿の北入口の石柱が立つ。 そこからまた先の広い通りの角にも広重の「恵智川」の画と「愛知川宿入口」の石柱がある。 |
高札場跡 一里塚塚碑 愛知川河畔常夜灯 |
八幡神社の鳥居脇、高札場跡の石柱、問屋場跡と行き、宿場西口の老舗料理屋竹平楼まで来て 脇本陣跡を見逃したのに気付く。戻って手元の参考本、地図にある場所を探すが見つけられない。 時間がないので先を行く。宿の出口で国道に合流する。国道の向こうに一里塚碑が見える。 先で愛知川を御幸橋で渡る。 ここも「むちん橋」、東近江市に入る。両岸に常夜灯が立つ。 |
橋を渡り左に折れて先を右に行き、五個荘に入る。 五個荘支所のまえの立派なポケットパークがあり、その先に「中山道分間延絵図五個荘」の地図を写した 看板がある。江戸時代に作成された五街道の現代版縮尺図である。見事な地図です |
地図に堪能しながら五個荘を出て国道を斜めに渡る。ここから迷った。清水鼻の名水をみて、 途中国道に出るか直進するか参考書両方あり。どちらからでも行けます。 迷いに迷って出た先は観音正寺の分岐。常夜灯と道標が建つ。 辻を左に折れると石寺楽市。道は直進して新幹線のガード、先で国道8号線を地下道でくぐる。 |
清水鼻の名水 観音正寺常夜灯 八幡愛知川道標 石寺楽市 |
右に奥石神社 ・老蘇の森の案内がある。 ここから静かな佇まいの老蘇の集落を行く。 これが街道だね〜、と思う集落だ。 心が癒される至福のときだ。 |
2キロほどで武佐宿入口、牟佐神社の鳥居脇に子供たちの手作りの 高札場札。先に行くと伝馬所跡など子供たちの手作りの案内板が立つ。 こんな案内板は嬉しいね〜。 ここが宿場だと実感する。 |
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