ぶらり旅  2006年 7月 7日 中山道・柏原から鳥居本 

 「気ままに歩く奥の細道」で柏原宿の八幡神社前から垂井の追分までと、芭蕉句碑を訪ねて美濃赤坂・国分寺、
 鳥居本から高宮までは美濃と近江の中山道を歩いている。
 目的もなく中山道を歩くのは今回が初めてだが、あえて醒井のバイカモを見るついでにと柏原から醒井までを
 歩くつもりだったが、梅雨空のなかで天気も良く、結局鳥居本まで歩いてしまった。
                             
                 
 10:20 JR柏原駅を出て東に少し戻り、
 八幡神社前から中山道をに出る。
 連子格子の家が続く町並みには、各戸に
 旅籠屋、蝋燭屋、煮賣屋などの木札が
 かかったり立てられている。
 
 また、映画監督吉村公三郎の実家もある。

 本陣跡の看板を見て人通りの少ない道を行くとなにやら人だかりがする家があった。
              
  何かとみると伊吹もぐさの伊吹堂亀屋である。
  おじさん、おばさんたちが手にお灸をしていて店内は人で
  一杯である。写真を撮らしてもらって早々に退散したら、
  先の歴史館に、この店には広重も描いた巨大な福助人形
  があると書いてある。
  お灸に気をとられて見損なった。やはりいい加減に街道は
  歩かないほうが良いと反省する。
           

   重厚な建物の柏原歴史館、通りに立つ柏原宿の看板をみて旧道を行くと、右に常夜灯とそのすぐ先に
   復元された柏原一里塚がある。柏原宿を抜けて小川の関跡の石柱を見ると道は暗い林のなかを行く。
       
      

   国道21号に近ずくと梓河内。しばらく行き国道に合流すると道を横断するが、横断歩道がない。
   車に注意して横断し、駐車帯の先の歩道を行くと「左 中山道」の大きな石柱がある。
  

   国道から離れて旧道に入る。5分ほどでまだ新しい「一里塚の跡」の石標、右に手作りの「中山道鶯の端」
   看板を見て少し下ると「鶯の端跡」がある。
   ”ここからは西方の眺めがよく旅人はみな足を止めて休息した”と説明板にある。
   現代の旅人はそんな余裕もなく先を行く。すぐに坂を下りきると見附跡、道は枡形に折れて醒井宿に入る。
                                       
  宿端から5分ほど行くと「居醒の清水」。
 ここから醒井宿のなかをハリヨとバイカモが生息する地蔵川が流れる。
 
  川に沿って本陣跡、問屋跡の資料館
 十王水とみながら進む。                                
  

   「ヤマキしょうゆ」などの 古い家並みもあって宿場の面影は残るが、全体に 観光化されているため
    華やかだ。やはりこの季節は地蔵川のバイカモ見学で人も多く街道を歩く趣はない。
  
        本陣跡            資料館(問屋跡)          十王水           西行水
  
  橋を渡る分岐で左に行き、西行水をみて醒井の中心部を抜けると番場への標柱が建つ。
  番場へ一里とある。今日はここまでと思っていたので地図も、何も持たずに来た。
     まして事前の調べもしていない。先の道がどうなっているのか?皆目分からないのである。
  昼食を兼休憩の後、駅に行ったら番場までのイラストマップがあった。番場から先は超簡単なマップだ。
  天気も良い。思い切って先を行く。

 標柱を見て道路を渡ると六軒茶屋跡がある。
 すぐ先で国道21号と合流し醒井宿を抜ける。
 
 国道を500mほど行き「中山道・河南」の看板で
 旧道に入る。
 途中「いっぷく場」の看板が揚がるある「茶屋道館」を
 みると樋口の集落。
 樋口の交差点で国道を横断すると三吉の集落へ入る。
 過ぎた突き当りを左に折れて名神と北陸自動車道の
 JCTで高架をくぐる。
 
  傍らに立派な「中山道一里塚の跡」と刻まれた石碑が
  あり、「久禮の一里塚」の説明板が立つ。
  右に道をとると久礼の集落。
  しばらくは山すそを縫うように行く。
  左にしだれ桜の木と田畑を見て、右の山すそから
  垂れる木々のトンネルのような静かな道を行く。
  
  「ここは中山道 番場の宿」の看板を見て過ぎると
  信号交差点。角に「米原 汽車・汽船 道」と刻まれた
  指差しぢ道標が建つ。
   
  旧道は東番場に入りすぐに蓮花寺下のバス停がある。
 「境内在故六派羅鎮将北條仲時及諸将士墳墓」と刻まれた立派な石柱と、
 「瞼の母 番場忠太郎地蔵尊」と書かれた看板が立つ。
 街道から少し入った先にあるため寄らずに先を急ぐ。
 
 西番場の集落を過ぎて名神高速と並行すると、
 大きな新しい「中山道」の石碑がある。
 何か場違いなところから突然現れた感じだ。
 名神高速と田んぼに挟まれた細い道を行くと、
 やがて自然と山の中へ入って行く。
 
低かった道がいつの間にか高速道の上になっていた。
ゆるやかだが登ってきている。イラストを見ると小摺針峠とある。
ここから本峠への道標まで行くのになぜかものすごく長く感じた。
道が下り始めると彦根市に入る。

           

    山のなかを行く一本道。汗が噴出す。目の先のねむの木の花が今はひと時の慰みになる。
    ようやく摺針峠への道標に着いた。正直ほっとする。
    実際には10分ぐらい歩いただけである。番場を出てからわずか20分歩いただけでこんなに
    疲れるとは思わなかった。
   
   いよいよ摺針峠である。中山道第一ともいわれる眺望の望湖堂跡があり、当時はすごい眺めだったろうと
   イラストにはある。しかし今は干拓地となったともある。
   道標に従い右に折れて中山の集落を目指す。道はゆるやかに登っていく。
   すぐに集落に入り村の人が3人集まってみえる。そこからなぜか道は下り始める。ん〜〜?
   もう一度登り返すのかと思いながら行くが下りる一方である。途中でタクシーに会う。こんなところで?と
   思っていたら、先ほどの3人を乗せて戻ってきた。峠はどうやら過ぎてしまったらしい。
   望湖堂への案内(あったかどうか?)を見過ごし道を外したみたいだ?(帰って案内本を確認したら峠の下に
   歩いた舗装路がありその横に道が付いている。村の人が立っていたところみたいだ? 
   どうやら3人が居たところを左に巻くところを直進して下ってしまったようである)。 
   あらためて思い付きの街道歩きを大いに反省する。したがってここの写真はありません。
    
急な坂道を下りきると国道8号線に出る。
ここから先地図がなく一瞬迷うが道は国道を行くしかない。

国道を少し歩くと歩道にへばりつくように道標があった。
すぐ先で左に旧道をとると鳥居本宿に入る。
入口に残るわずかな松の木を見て道を行くと、懐かしい茅葺の家と
赤玉神教丸の有川家が見えた。

   合羽所の看板がかかる家を過ぎると右に近江鉄道の可愛いい鳥居本駅がある。
   14:35 反省の多い中山道歩きであった。 
  

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