ぶらり旅  2007年 6月23日 美濃路 起宿(名鉄須賀駅)から大垣
                            

  美濃路の最終回です、今回は起宿(名鉄須賀駅)から墨俣・大垣宿です。 美濃路は大垣から垂井の中山道
  追分まで続きますが、この間は「奥の細道」で歩いているので大垣の「奥の細道結びの地」までとします。
  第3回のスタートは名鉄竹鼻線の須賀駅です。
  駅の前の道をほぼ道なりに行き足近町南宿に入ると親鸞聖人御旧跡(西方寺)への道標があります。
  すぐに県道の変則交差点に出ますが道はここで途切れます。
  県道を右にとり次の交差点を左折してもいいんですが、すぐ前の田んぼ道に入りました。真直ぐ農道を行き
  羽島市農協カントリーの施設のところで右へと行きます。次の広い道を少し戻り気味に斜め前の道へ入って
  行き境川の堤防へ。堤防の片隅にここにも親鸞聖人御旧跡(西方寺)への道標がありました。
         
   南宿の西方寺道標              境川堤防道            親鸞聖人御旧跡(西方寺)への道標 
       
       美濃路道標           東小熊・西小熊一里塚跡             長良大橋  
  ここからはしばらく堤防を行きます。少し行くと堤防右に美濃路の案内板と道標が立っています。
  何もない堤防道路を淡々と行くと大きなイチョウの下に「羽島史蹟一里塚跡(東小熊・西小熊の一里塚跡)」の
  立派な碑が建っている。勝手は東小熊村に右塚、西小熊村に左塚があったそうだ。
  突当りで堤防道路から離れ境川を渡り右にカーブしながら長良川の堤防下に出る。上がって堤防を行っても
  いいが、車が多くそのまま下を行き、橋の右下をくぐって少し戻り、長良大橋を渡る。
  渡ってすぐのこれまた車の多い県道33号を少し歩いて右に墨俣城をみて橋を渡ると「墨俣宿」である。  
  橋を渡った左角に本陣跡、右に「美濃路の道標」、「墨俣宿」の碑が建つ小公園がある。かっての高札場である。
  そのまま直進すると美濃路であるが、右(北)にとるとすぐに墨俣城で、左(南)にとると寺町界隈である。
 
       墨俣本陣跡碑              道標と小公園                   墨俣城
      
   寺町の史蹟文化財解説版          墨俣宿脇本陣跡            琉球使節通行記念燈籠
  墨俣城は大垣市墨俣歴史資料館として一夜城築城や墨俣宿の歴史を紹介、寺町界隈には6ケ寺が建つ
  まさにお寺の町筋である。両方を見学、散策して美濃路に戻る。
  左に墨俣宿脇本陣跡の重厚な屋敷を見る。少し先の天王社(津島神社)には「琉球使節通行記念燈籠」が
  建つ。ここから一筋先を右にとり先の八幡神社を見て道なりに左に曲がり、一旦犀川の堤防に出て左に折れる
  がここから一瞬堤防道路かと見間違うような道だが、右はいかにも新しい区画整備された土地が続く道を進む。

途中に谷汲への道標があるはずだが見逃した、というよりあまりにも道が新しく
違っているように見えた。途中から道が狭まり本当の堤防道になる。
左に続く道が本筋かと思うほど単調な道だが、途中にあるはずの「東結一里塚跡」
を通り過ぎる。この塚は道の下にあり気が付いたが、少し戻って側道を降りると
「安八町史跡美濃路一里塚」の案内板と道標が祠の横に立っていた。
再び街道に戻り西に進む。
  少し広い県道に出るとカラー舗装された道の角に「歴史の道 鎌倉街道 美濃路」の大きな木の看板がある。
  その先には「まちあい公園」と書かれた立派な石碑がある公園で大きな案内板が立っている。
  前に「町屋観音堂」が建てられているが、照手姫の守本尊といわれる十一面観音を祀る観音堂である。
  美濃路は直進するがすぐ先で揖斐川に阻まれ道は無い。右に迂回して美濃路の木曽三川最後の揖斐川を
  国道21号の新揖斐川橋で渡る。  
          
       歴史の道看板                町屋観音堂                結神社
           
     新揖斐川大橋入口                                   東町常夜灯
  
  一旦橋をくぐり戻り返すと新揖斐川橋、広い駐車スペースと歩道が付いた国道21号岐南バイパスである。
  美濃路に戻るには一旦数百メートル先に行き戻ってくることになる。堤防に降りるとすぐ先にあるんですが
  降りる道が無い。先まで行って戻り、適当な道を近道し堤防道路に上がる。
  堤防に出るとすぐ右に東町常夜灯がある。
  ここから大垣市内、東町から、小野、今宿と真直ぐ西に西にと進んでいきます。
  今宿で東海道線に出会う手前で左におれ少し南下、県道に出ると道はまた消えます。県道を右にとりすぐを
  左折、東中学校を見て右折、小学校に突き当たると右に、すぐの県道を左にとこの辺りは細かく右左折します
  が・・・実はこの部分は消滅している部分です。この小学校の先に「三塚一里塚跡」があるはずなんですが?
  何所を探しても見つかりませんでした。ここから国道258号を越えると大垣宿の中心部へと入っていきます。
   

 
 国道を渡り直進すると突き当たりのロータリーが
 大垣城東総門跡(名古屋口門跡)です。
 ここで左におれ、次の角を右に、すぐ左にとって
 南へ本町通りに入りますが、その角に高札場跡が
 あります。
 札の辻と呼ばれたこの場所から道は鍵型に曲がり
 南下して本町通に入って行きます。
 残念ながら本町にあるはずの脇本陣跡を見つけ
                       られませんでした。

 
  本町通りを抜け、県道を越えると次の角に本町道標が建っています。 
  「美濃路と竹鼻街道の分岐に建つ道標で、「左 江戸道 右 京道」とあります。ここを右折、すぐに左折して
  次の角が「大垣宿問屋場跡」、ここをまた右折すると「大垣宿本陣跡」の竹鼻会館で前に「明治天皇行在所」の
  石柱が建っています。この辺りは右左折する七曲でこの後も右左折を繰返し、最後の四辻を左折すると大垣城
  西総門跡(京口)、そして船町道標を見ると住吉灯台、県道31号を右にとると水門川に架かる高橋で、渡ると
  右に「奥の細道結びの地」です。
  ここから先は「奥の細道」で歩いた美濃路。我が美濃路歩きはここで終わりとします。
  
          
         本町道標                 問屋場跡              大垣宿本陣跡
    
    大垣城西総門口(京口)             船町道標             奥の細道結びの地
  三日間にわたって歩いた美濃路、それも初め途中、終りも途中の歩きでしたが、結構見所もあり楽しい美濃路
  でした。出来れば通し歩きをしたかったんですが、今回は時間の都合と以前歩いた部分を省いてしまいました。
  しかしそれなりに満足した美濃路歩きでした。
  特に後半に手に入れた美濃路ウオーキングマップは優れものです。ぜひ歩かれる方はこのマップを手にされる
  といっそう楽しい美濃路を知ることが出来ると思います。
  

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