ぶらり旅 2007年 8月13日 京街道 六地蔵から樟葉
東海道五十七次は、伏見と大阪に城を築いた豊臣秀吉がその地を最短で結ぶため淀川左岸を築堤したのを、 後に徳川家康が大津追分から伏見、淀、枚方、守口に宿を設け、京都を回避して大阪に道を定めたものです。 2007年3月7日にその一部(奈良街道)の追分から六地蔵までを歩きましたが、 今回はこの六地蔵から大阪までの京街道(正式には伏見宿から大阪高麗橋)を三回に分けて歩きました。 |
以前歩いた奈良街道は六地蔵から真直ぐに南下していきますが、京街道はここから右に折れ西に向かいます。 JR六地蔵駅前の道を少し行き山科川を六地蔵橋で渡ると見付町。 外環状線を横断し、東町へと細い旧道を行きます。 新町で地蔵尊を見て右にとりしばらくJR奈良線に沿って行きます。 最初の交差点で右に線路をくぐり伏見坂へ入ると右は桃山陵です。 |
新町 地蔵尊 伏見坂 |
乃木神社 鳥居 四ツ当りから油掛街 |
登りきると清水谷、乃木神社の鳥居をみて左へ折れすぐに右に、桃山小学校の横の細い坂を下ります。
再びJRの線路をくぐりすぐ右にとると西への一本道です。 |
阿波橋 伏見港公園 |
さて本来の東海道(ここから京街道とします)は・・・、しばらく迷いました。 実際は地図の通りだったんですが、街道は道なき?土手を行きます。 草叢同然の土手をしばらく行くと、小さな鉄の橋がありました(歩行橋です)。 渡ると舗装された堤防に出ます。 ここからはただひたすら宇治川の堤防(淀堤)を歩きます。 宇治川大橋の袂で国道一号線を渡りますが、信号がありません。 車の洪水のなかをタイミングを見計らっての文字通り命がけ?の横断です。 (迂回路はかなり一号線を歩いての信号交差点でロスがつらい)。 これが一番の難所?で越えると再び堤防歩きです。 |
支流にかかる歩行橋 宇治川堤防 巨椋大橋と先に宇治川大橋 |
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ここには淀城址や淀城址公園などもありますが寄らずに先を行きます。 淀宿を出て淀大橋を渡った先辺りで道を外したようですが、いつの間にか戻っていました。 |
広い道に出ると京滋バイパスの大きな橋が見えますが、その先が御幸橋。 |
宇治川と木津川に架かる 御幸橋 石清水八幡宮 |
街道に戻ります。 淀川の堤を少し歩くと土手下に大きな楠の木がありました。 道は傍の踏み跡を下りますが、京へ向かうときはこの道を上がって斜めに淀川御幸橋の袂まで 橋本の渡しがあったようです。 その橋本はここからすぐ、淀宿と枚方宿の間の宿として栄えたところです。 京阪橋本駅の前に道標、右に曲がるとすぐ先に「橋本の渡し跡」の碑があります。 |
三川合流地と山崎 大楠の木 道標 |
橋本の渡し跡碑 橋本の家屋 |
”ここは井原西鶴が「好色一代男」で描いたように宿場遊女で発展した”と あるように、その名残りが繁栄の時代を見せてくれます。 表通りの違い格子の上に透かし彫りの欄間の彫刻、こんなのは他には 見たことがありません!(私的には)。 素晴らしい橋本の町並みを見て再び堤防歩きです。 |
八幡宮の道標 樟葉の街道筋にある道標 |
光明寺、道標、建長寺など見ながら行きますと突き当たりに新しい道標が、 |
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