ぶらり旅 2006年 8月26日 葛城古道
神々の里として、天孫降臨を初めとする数々の神話の舞台が、そして葛城王朝以来の史跡や農耕文化の 営みの跡が、金剛葛城両山麓一帯の扇状地に広がっています。(中略) そんな舞台の中心地であった 葛城古道は約13キロあり、歩くと丸一日かかります。縦横に連なった葛城古道は史跡が多く現存し、恵まれた 自然に触れることが出来ます。(後略) 〜御所市観光協会発行 「葛城の道」から 引用〜。 パンフレットの地図は、葛城登山口駅から東佐味バス停(一つ前が風の森バス停)までが葛城古道として 紹介されている。今の一般的なハイキングコースである。 今回は近鉄御所駅から歩き、六地蔵から古道コースに入り、お決まりの風の森バス停までを歩く。 |
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いきなり田んぼのなかを行く。 始めは舗装がしてあるが、道は次第に細くなり地道に。 さらに道は細くなり、完全に畦道になる。 右上の写真の奥に小さく見えるのが 番水の時計 右写真 → 何に使われているのか分からないが 数字と時刻が書かれた木札だが掛かる。 しばらくで車道を横切ると「九品寺(くほんじ)」。 |
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行基開創の古刹。本道裏に千体石仏がある 道は再び田んぼや畑のなかを行く。 所々でこれが道??と思うような道なき道を 通り抜ける。 途中の楢原休憩所からははるか大和三山がを 見ることができ、目の前はコスモス畑が続く。 畦道が終わり舗装道に出て道を下って行くと 「一言主神社」に出る。 |
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葛城一言主神社 本殿 樹齢1200年余の銀杏 芭蕉句碑 |
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願いを一つだけ聞いてくれるという「いちごんさん」で親しまれている。 本殿横の大きな銀杏の木(乳銀杏と呼ばれる)の奥に芭蕉句碑がある。 句は ”猶見たし花に明行(あけゆく)神の顔” 貞享5年(1688)の吟である。 「笈の小文」本文に、葛城山の前付で”猶みたし花に明行神の顔”とあり、前に初瀬、後に三輪・多武峰・ 臍(ほそ)峠の前付で吟句があり、吉野への旅の途中に詠まれた句である。 |
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南郷の住吉神社で右にとり、すぐに県道に 出ると道は二分する。 極楽寺へは県道を行き表参道から入るのと、 自然歩道の案内板で裏道を行く道がある。 少し戻って裏道に?入る。「右 つぼさか 左 ・・」 の道標をみて墓のなかを行くと「極楽寺」に出る。 ユニークな鐘楼門をくぐると、綺麗に手入れされた 境内に上品な本堂が建つ。 住吉神社 極楽寺鐘楼門 |
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橋本院への山道 橋本院 高天原 万葉歌碑 |
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極楽寺を過ぎて橋本院へは雑木林のなかを、丸太の階段と荒れた掘割の山道を登る。 しばらく息を切らせ、蜘蛛の巣を払って登って行くと、やがて頭上が開け明るくなると橋本院の境内(といっても らしきものはない)。本院を見て回り込み広場に出るとむと高天原の万葉歌碑がある。 一帯は史跡高天原。田園風景を見ながら小さな集落を抜けると「高天彦神社」に出る。 |
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古代豪族・葛城氏の祖神を祀り、背後にそびえる山が御神体。 近くには鶯宿梅、蜘蛛窟の史跡がある。 正面横が金剛山への登山口になっていて駐車場には 多くの車が駐車していた。 鶯宿梅の横から畑を通り杉木立の山中へ入る。 コンクリート板の階段と急坂を一気に下り、西久保から 伏見に出る。 |
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道の要所に立てられた「近畿自然j歩道」と「葛城の道」の 道標に助けられて歩いてきた葛城古道。 「高鴨神社」を見ると終わりは近い。 この地に勢力を誇った鴨氏の氏神を祀り、京都の 上賀茂・下鴨神社の総社に当たるそうである。 傍の「葛城の道歴史文化館」で一休みする。 ここから東佐和のバス停に行くか、風の森バス停に行くか迷ったが、 すぐ先で「風の森」の案内板を左にとり「風の森」バス停に出る。 ※ この先五條市にも芭蕉句碑があり、できれば足を延ばしたかったが今回は断念する。 |
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