ぶらり旅  2006年 5月21日  上ツ道から初瀬街道 


 暗越奈良街道から伊勢街道を繋ぐため奈良から榛原までを歩く。
 ルートは奈良猿沢の池から南下する上ツ道を行き、途中桜井の三輪で初瀬街道に入り、長谷寺から西峠を
 越えて榛原にまで。かっての大阪から伊勢参りに使われた道を行く。
 またまた[<kaz> のホームページ]「暗越から奈良伊勢本街道を歩く」を参考にさせてもらって地図を
 MapFannetにトレースし持参する。
 今日の目的はもう一つ、途中にある芭蕉句碑を拾っていくこと。街道沿いには三つの句碑がある。
 


 9:00 近鉄奈良駅から三条通りに出て、奈良市観光センター前から猿沢の池へ。
  池の南西にある2基の常夜灯から「ならまち」に入り、観光化された古い町並みの中を
 抜けて南下する。
  
 JR京終駅近くの肘塚(かいのづか)町の2基の常夜灯をみる。
 道はJR桜井線に沿うようにひたすら南に向う。
 出屋敷町、北永井町と集落の古い民家を見ながら過ぎる。

 少し開けた田んぼ沿いの道を行き柴屋町に入る。
 
    古い町家のなかに帯解寺がある。 今日は日曜日ともあってか人出が凄い。
    夫婦の祈願に親の付き添い?いつの世も子どもを授かりたい、安産を願う
    気持ちは親も子も一緒、その子持ちがよく分かる。


                                    
 寺とは対照的に静かな佇まいの
 蔵之庄町を抜け楢町に入ると
 道標がある。
 両面の右左、
 「右 なら みち」、「左 はせ みち」 とある。

 道筋に次々と現れる古い家並みに感心しながら櫟本(いちのもと)
 の集落へ入る。
 前方にみえる西名阪をくぐると左に「在原神社」がある。
 今日のもう一つの目的である芭蕉句碑を見に寄る。
            

     参道を行くと「在原寺」の石柱が建つ境内。石柱の裏は何故か「在原神社」とある。
     正面に神社本殿が残る。左手に謡曲「井筒」の舞台となつたといわれる「井筒の井」がある。
     そのまた横に「在原寺」本殿跡と書かれた小さな木の札が立てられていた。
     芭蕉句碑はその反対側、神社本殿右の境内にある。
     句は  「うぐひすを魂にねむるか嬌柳(たうやなぎ)」 年次未詳(元禄年間)である。
    

    街道に戻り更に南下し石上町に入ると旧町家の家々が建ち並ぶ。
    白漆喰の虫籠窓、大和造り、板張り蔵付き、格子破風の家々が惜しげもなく建ち並ぶ。
    まさに一昔にタイムスリップしたかのようである。
     

 道はゆるやかにカーブして行く。
 左に小さな道標をみる。正面左に小さく「右 はせ」とある。
 指示どうり右に直角に曲がりさらに南下を続ける。
 
 辺りは賑やかさを増し、天理教関係の施設が多く見られるようになる。
 天理の中心部に入ると、左手に本部の諸施設の上部がチラチラと見える。
 天理商店街のアーケードを横切り、国道25号を渡ると丹波市町に入る。
 
       
      広い道に何故か少し屋根の架かったところがあった。
      いったい何を意味するものか?ただのテントの代わり?
      なのかよく分からないが、珍しい光景である。
                 
          勾田町から道はJRの線路に再接近し、田んぼの中の細い道になる。
          先の突き当たりを道なりに左にとると右角に藤棚が造られた小公園がある。  
  
  片隅に芭蕉句碑が建つ。
  句は 「草臥(くたび)れて宿かる比や藤の花」 貞享5年(1688)の吟 笈の小文

  解説版には「笈の小文」の旅を終えて京都に入ったあと伊賀上野の惣七宛に送った
  書簡のさわりが記されている。
  解説版にあるとおり ”・・・石の上在原寺、井筒の井深草生たるなど尋て(中略)
  丹波市、やぎと云所、耳なし山の東に泊る。
    ほととぎすやどかる比の藤の花”  
  と云て、猶おぼつかなきたそがれに哀なるむまやに至る。(後略)”とある。
  まさにこの道そのものなのである。
   
   道は東に向かい一旦国道を横断する。
      すぐに右に折れて再度国道を横断し斜め先の旧道に入る。
   大和神社を右に見て成願寺町から柳本町に入ると,長岳寺への道標と
     柱一本が屋根掛けされた珍しい「長岳寺五智堂」がある。
    ”長岳寺の飛び地境内に建つ、方一間の小さい建物で、
     俗に真面堂とも呼ばれる・・・”とある。
   
   柳本の家並みをみながら纒向(まきむく)で国道とJR桜井線を跨ぎ、箸中、
   芝の集落を行く。
 大三輪中学校の先で左に折れ、右に大神神社の大鳥居を見ると
 道は右、左に小刻みに折れて延びる。
 途中の民家の角にある道標や薬屋の看板の上がる商家を
 見ながらしばらくで大和川に出る。
 大和川に架かる橋の手前で左に折れるとここから道は初瀬街道
 である。
 金屋に入り細い道を抜けると目の前に小さな道標があった。


   「左 はせ いせ道 右 三わ なら道」
  指示のとおり左に折れて東へ。しばらく先で国道165号線を渡り旧道に入る。
  

  国道と平行するように延びる道は白山神社まで、朝倉、
  脇本、黒崎の集落を行く。
  この辺りも古い町並みが残り、静かな町筋は単調な
  道歩きを癒してくれる。
    
      白山神社         十二柱神社        長谷寺参道入口         いせみち道標

 白山神社を見て国道に出る。少し国道を歩き左手旧道へ。
 十二柱神社を見ると出雲から初瀬に入り、
 すぐに長谷寺の参道入口がある。
 参道を行くと駐車場右手の店角に「いせみち」の道標が建つ。
 街道はここで右にとりS字にカーブする坂を登るが、
 ここで最後の立ち寄りをする。
 少し先のバイパス横を左登ると「崇連寺」がある。
 ここに芭蕉句碑がある。
 境内を探すがそれらしき碑が見当たらない。
 そんなはずはないと手元の資料を確認する。
 みると「芭蕉翁こもり塚」とある。あらためて探す。
 
   意外にも塚は山門入口右手前にあった。
   多分間違いないと思うが?下の文字が「 ・・も里塚 」とみれる。自信ないが。
   左にかすかに小さく文字が刻まれている。これが多分句だと思われるが?
   ならば 「春の夜やこもり人床し堂の隅」 貞享5年(1688) 笈の小文での吟で、ここ長谷寺で詠まれた。
  
   確信はないが多分間違いないだろうと決めて街道に戻る。
   道標から坂を登り国道に出る。ここから西峠までゆるやかな登りが続くと思っていたら、これが結構キツイ。
   暑さもあったがそれ以上に登っている。
   およそ4キロ近い登りの国道歩きでようやく西峠の交差点に着く。
   
   
   ここから街道は国道と交互しながら下りになり数分で
   上ノ町商店街に入り、抜けると近鉄大阪線のガードが見える
   手前で、左にとる初瀬街道と直進する伊勢本街道の追分に着く。
   角に 「左 あをご江道 右 いせ本かい道」の道標と、
   すぐ先に常夜灯が建つ。

   奈良三条通、暗越奈良街道を結んで榛原追分まで約30キロ。
   16:30 無事到着。
   
   ここから伊勢本街道を行くか、初瀬街道か。
   しばらく楽しい悩みが続く?
  

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