堺市大小路から竹内峠を越え、當麻町の長尾神社にいたる約27キロの竹内街道。
短い街道だが、はるか推古天皇が西暦613年に作った「大道」が起源とされる
日本最古の官道(国道)である。今は国道166号線となり大阪と奈良を結んでいる。
説明では平成7年、国によって太子町春日から當麻町長尾神社までの7.4キロが
「竹内街道竹内峠」として歴史国道に選定されたとある。
ぶらり旅 2006年 8月15日 竹内街道 上ノ太子から磐城
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近鉄南大阪線「上ノ大子駅」駅前に「竹内街道」の石碑がある。 駅前の道が竹内街道。踏切を渡り、 新しい南阪奈道路をくぐり しばらく国道を行く。 赤坂町で国道を離れ旧道に入る。 カラー舗装された集落の街道を行く。 要所には「竹内街道」の案内標識があり迷うことはない。 六枚橋バス停を過ぎると道はゆるやかに登っていく。 孝徳天皇陵の道標をみて さらに登って行く。 太子町山田の集落には古い民家が 多く街道の趣がある。 家並みが切れると「竹内街道歴史 資料館」があるが今日は休館日だった。 すぐ先にある「近つ飛鳥の里大子道の駅」で 弁当を買うつもりだったが売り切れてなく、 しかたなく「力餅」を買い昼食に備える。 道はすぐに国道166号に合流する。 |
竹内峠へのゆるやかな坂道を登っていく。坂はそれほどきつくはないがやはり峠道。 振り返るとかなり登っているのが分かる。しばらくで峠手前の「万葉の森」に着く。ここでは食事ができるようだ。 ここから二上山への登山道があるが、思っていたよりハードな感じで今日はパスして真直ぐ峠へ。 峠のすぐ下で「うぐいす茶屋」をみると、すぐ右に通行止めの閉鎖された道がありこれが旧道だ。 ゲートの横から細い道を登っていくと峠の国境に三基の碑が建つ。 よく読めないが手前から「竹内・開・碑」、真ん中に「従是東 奈良縣管轄・」碑、左に「鶯の関跡」碑。 「鶯の関跡」を見るのは二度目だ。一度目は「奥の細道」で歩いた北国街道の関が鼻集落口の「鶯の関跡」。 道はここから下りに入る。すぐに東屋の置かれた休憩所がある。 11:35 少し早いが道の駅で買った力餅を昼食代わりに食べて休憩する。 すぐ横の草むらの中に新しい竹内街道と刻まれた「鶯の関跡」の石標がひっそりと置かれている。 旧道は一旦国道を越えて右に国道の下をくぐるが、休憩所の先の展望台横から階段を降りて旧道へ入る。 |
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千里の句碑 ここは「野ざらし紀行」で芭蕉に同行した門人千里の故郷。 「大和の国に行脚して、葛下(かつげ)の郡竹の内と云處、彼ちりが旧里なれば、日ごろとどまりて足を休む。 わた弓や琵琶になぐさむ竹のおく 」 と「野ざらし紀行」にある。 その綿弓塚。右側面に「綿弓や琵琶に慰む竹の奥」が刻まれている。 傍には千里の「深川や芭蕉を富士に預け行く」の句碑もある。 |
當麻寺 来迎の松 ここはまた司馬遼太郎が幼少のころ暮らしたところでもあるそうだ。 少し先に地蔵堂。傍らに「左たいま道」の道標。芭蕉も當麻寺には二度訪れている。 二上山にはいかなかったがここはつい寄り道をする。 ここにも芭蕉の句碑 「僧朝顔幾死かへる法の松」があるはずだが、今日は本堂にお参りし芭蕉が「法の松」 と詠んだ「来迎の松」をみる。松は枯れた根元だけが祠の中にあった。 |
街道に戻って国道165号バイパスをわたり、長尾神社に突き当たると 長尾街道の追分。正面に道標が二基ある。 「左 はせ いせ道」と「左 はせ いせ 右 よしの つぼ坂 こうや」が並んで建つ。 直進するとすぐに長尾神社の横、 竹内街道の終点に着く。 わずか26キロの街道だが この8キロに凝縮されたような竹内街道。 芭蕉の綿弓塚を見て、當麻寺にも寄って 満足の街道歩きでした。 |
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