ぶらり旅  2006年 4月18日  暗越奈良街道 


 芭蕉が歩いた最後の道、暗越奈良街道。
 絶対に歩きたいと思っていた道だが、大阪側のルートがまったく判らずネットで探しまくる。
 いずれも明確な地図はなかったが、GPSを使った街道歩きのページ[<kaz> のホームページ]「暗越
 から奈良伊勢本街道を歩く」
を見つけて参考にさせてもらった。
 おおよその地図は把握できたが、念のためMapFannetの1/6250の地図にルートをトレースしてみる。
 完璧とまではいかないだろうと思ったが、とりあえず地図を手に歩く機会を待っていた。
 日も長くなり、天気も良かったので思い切って出かける。
 大阪玉造(江戸時代前は高麗橋が起点とある)から歩くのが本筋だが、あえて芭蕉が歩いた奈良から大阪に
  向うことにする。 8里8町(約34キロ)の暗越奈良街道。久しぶりのロングウオークになる。


 9:05 近鉄奈良駅から三条通りに出て西に向う。
 JR奈良駅を横に見て、三条大路2で国道24号線を横断する。
 国道308号線に入ると大阪枚岡までは悪評高きこの国道を行く。
 
 9:50 近鉄尼ケ辻駅横から道は一気に狭くなる。
 
 車のすれ違いで歩く道もない横をすり抜けて行く。
 1.5車線ほどの道幅しかない国道だが、
 この先まだ細くなると思うと空恐ろしい。
 県立病院横から南西に道はカーブして畑の集落を行くが、
 集落の所々には重厚な入母屋造の家がみられる。
 
   
                     
               


10:20 
 第二阪奈道路をくぐるとしばらくで砂茶屋の交差点。
 道路標識には国道308号、ただし行き先がない。
 
 先の砂茶屋の角には小さな御堂と常夜灯が建つ。
 傍の富雄川を渡ると道は田んぼの中へ入っていく。

     先ほどの道路標識も意味がわかったような気がした。
     道はどうしても国道とは思えない。
     これはただの田んぼ道、農道だとつぶやきながら歩いて
     いたらマジで耕運機がやってきた。

     のどかなものである。 

  
   農道?を過ぎると集落に入る手前に常夜灯と道標がある。道標は指差し指標で「矢田」の
   文字が見れる。
   ひっそりとした集落を抜け雑木林の中を抜けると第二阪奈道路に出る。
   道は二手に分かれ、左に下りれば第二阪奈をくぐり登り返す。
   右にとれば阪奈道路の上を渡る。どちらを行っても先で合流するが、これから先のことを
   考えるとアップダウンの少ない右の道を行く。
   右に花の終わった梅林をみながら分かれた道と合流し、しばらくすると追分に出る。
   大和郡山との分岐である。
         
           追分本陣村井家住宅(主屋は茅葺と桟瓦葺の大和棟造)と2基の道標が建つ。
     
    ちょうど工事中のため車は通行止め。家の前には工事中のトラックが止まりなんとも様にならない。
    工事中の横をすり抜け、竹林から榁木(むろのき)峠の雑木林のなかを行く。
    この先の分岐で左に折れる道を直進してしまい、途中で気づいて戻る羽目に。
     
         
 
   子どもの森分岐の道標   小瀬峠への道   矢田丘陵遊歩道案内板と指標     生駒の山々と小瀬町
    
   道は「子どもの森」に向かい更に先の分岐で右にとる。分岐の手前に道標が2基建つ。
   小瀬峠への登りを終えて雑木林を出ると大きく視界が開らけ、正面に生駒の山並みが見渡せる。
   広い立派な道を下りて変電所を右折し、大瀬中学校横から再び細い道に入る。
   小瀬町の集落を抜けると近鉄南生駒駅に着く。時間は11:40。
   これからの暗峠越えに備え弁当とお茶を2本買う。国道に戻り暗峠を目指す。
 
 ときおり広くなる道を、藤尾、鬼取、西畑町と登って行く。
 途中の生駒市南地区公民館の休憩所で昼食兼休憩にする。
 傍らの「暗越奈良街道」の石標には峠まで2キロとある。
 満開の桜の木が一本、疲れを癒してくれる。もうひと踏ん張りだ。
 
 突当りで「生駒」への道を分けると開けた道になり、最後の登りが始まる。
   
         
            西畑町からの棚田        生駒信貴スカイライン隧道         暗峠 石畳  
   西畑町から振返って見る棚田の眺めは素晴らしい。
   思ったほどの登りではないが、この高低差をみると結構登っているのが判る。
   最後の急坂を登ると「生駒信貴スカイライン」の細いトンネルがある。くぐると暗峠の石畳に出る。
   左に見えるお茶屋は営業していた。
 
       峠の風景  左から 道百選石標  奈良側からの峠  町家  大阪側からの峠

   ひとしきり峠の雰囲気を楽しんだ後大阪側に下る。峠(445m)から急角度の道は急一気に枚岡まで続く。
 
    地蔵堂と道標 常夜灯       弘法の水            急傾斜 急カーブ 細い道幅が続く国道
 
  ジエットコースター並みの急坂を下って行くが、少しでも勢いをつけると止まらない。
  途中にある「弘法の水」で小休止し、あらためて靴紐を締めなおす。
  これだけの急坂では足首で衝撃を吸収しないと指先を痛めそうだ。
  さて下りを再開する。途中何台かの車とすれ違うが、何で物好きな?と思うのは自分だけか?
  とにかく凄いとしかいいようない傾斜とカーブ。そして道幅の狭さだ。これが国道か!
  今日は大阪側では登ってくる人に一組だけ逢った(奈良側に下りる人たちには結構逢った)が、
  これはしんどいだろうな〜。 かなりブレーキを掛けてもときどき小走りになる。
              
           道端の芭蕉句碑    暗越モニュメント      勧成院の芭蕉句碑        勧成院から大阪方面
  
   右に枚岡公園を見ると「暗越奈良街道」のモニュメントが建つ休憩所の傍に芭蕉句碑が建つ。
   
    「菊の香にくらがり登る節句かな」
 元禄7年(1694)の吟。こちらは明治22年建立されたもの。
    [ 元禄7年、体調の良くないまま伊賀上野を発って大阪に向った芭蕉は、ちょうど9月9日の重陽の節句
     (菊の節句)に暗峠を越えたが、そのときにこの句を残した。その1ケ月後に大阪にて病没する。
      まさに芭蕉が通った最後の道である ] 
   
   行方不明だった旧碑は大正12年、少し下った「勧成院」の境内に移されたとある。

 
   勧成院から下ること少しで、近鉄のガードをくぐると豊浦町の街中に入る。
   街道はここから国道308号から離れ裏道へと入る。
 
      
  松原1丁目の道標      東菱屋2丁目の道標2基              御厨の植田家住宅
  
  本来の「暗越奈良街道」を歩いているかどうか分からないが、トレースした地図をたどって行く。
  いきなり右に折れる筋を間違え、先の社会福祉専門学校の筋を曲がりそれらしき道に入る  
  箱殿の交差点で斜め右に、道なりに進み恩智川を水走橋で渡る。旧松原宿を行くと角に道標があった。
  道はあっているようだ。道標の指示通り左に折れる。「花園ラクビー場西」で府道15号線に合流し西進。
  河内署先の三菱ふそう角から右に入り、菱江の交差点を南斜め(実際は交差点を横断)に行く。
  東菱屋2丁目の角に道標が2基ある。道は外していないようだ。
  再び府道15号に出て中央環状をくぐりすぐ先で右に入る。第二寝屋川を新御厨北大橋で渡ると先の交差点
  角に街道の案内板と本陣札のある植田家がある。何とか街道をトレースしているようだ。
  
   
      高井田の地蔵堂         旧道角の道標     大今里西のレリーフ        二軒茶屋跡
  
  道は城東貨物線をくぐり、布施柳通で府道15号に合流し、しばらく府道を行き長堂1丁目先で南に折れるが、
  深江稲荷神社に寄り道するためそのまま直進する。神社の傍を曲らず商店街を進み間違いに気づく。
  少し戻って神社へ、。この辺りは「菅の里」ともいわれ、明治のころまで人々により笠づくりが行われていた。
  笠は伊勢参宮の道中用に使われたといわれる。山門前に「摂津笠縫邑跡(かさぬいむらあと)」、
  「深江菅笠ゆかりの地」の石碑が建っている。
  神社から旧道に戻り府道24号から再び308号線に入る。寝屋川を渡ると少し先に道標が建つ。
  [奈良街道と北八尾街道の分岐に建っていたが、道路拡張で移され向きが変わって方向が正確でない]とある。
  ”何やねん、それって道標の意味がないやん?”と言いつつ、ここを斜めに入って道なりに行き、東成署を右に
  見ると先の角に「暗越奈良街道」のレリーフが埋め込まれた案内板がある。街道の終りは近い。
  300メートルほど先で左に折れ、平野川を渡る。国道308号を少し行き、玉津1丁目の交差点で玉造東商店街
  に入り、通り抜けると二軒茶屋跡の石柱が建つ。江戸時代の「暗越奈良街道」大阪の起点である。
  ここから高麗橋までは約3キロを残す。
  奈良から大阪。8里8町(34キロ)プラスα。17:00到着する。
 
  トレースした地図で旧道を100%歩けたか疑問だが?満足の街道歩きでした。
  
  

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